酒やめて、3043日
酒が飲めると、大物になる!?
我々昭和生まれのジジイが子どもだったの頃の正月は、普通に子どももアルコール入りの屠蘇を飲んでいました。今もそうなんやろか?
そしてそれを「きゅっ」といくと、父親が、この子は大物になるぞなどと目を細めるのが常でした。それがまったく的外れであったことを、一生かけて証明してしまいましたが(悲)。
ともあれ、子どもというところの者は、親に褒められるとテンション爆上がりするものですから、もう一杯もう一杯と言ってクイクイ飲んでいたような記憶があります。馬鹿です。
またお客さんが来ると、飲んでみるかなどと言われ、飲まされたりもしていました。で、お客さんも、将来楽しみだ―とか何とか言ってくれるわけですよ。馬鹿で薄汚い昭和のガキはますます調子に乗る次第でありました。カツオ(昭和のガキ代表)ぽくもありますが、ただカツオがそうなると、波平さんが「調子に乗るんぢゃないっ」になりそうです。
いずれにせよ、酒飲める(舐める)=昭和の親に褒められるという事象は確かに存在しており、大げさに言えば、そのような価値観を植え付けられるのですから、当然のように、長じては酒を飲むようになります。そうするとサークルの先輩などから、親やお客からと同じようなことを言われたりするのですね。こいつは見どころがある、と。
それは社会人1年生でも同じです。私なんか、社内報(というものが存在しているのがいかにも昭和だが)の新入社員紹介の「趣味」の欄に「飲酒」などと書いたものだから、役得(?)で、他の部署の部課長にも誘われたりもしました。
考えてみれば、大学1年生、社会人1年生というのは、昭和の薄汚い男が唯一タダで飲み食いできる人生のタームでした。今は、そんなことはないのでしょうけれども。
とまあそのように「飲める」を社会全体が歓迎していたわけです。幸せな時代だったのかもしれません。高度経済成長からバブルにかけての日本の豊かさがそれを担保していたのでしょう。
「飲む」「飲まない」の価値が逆転してしまった
しかし時代は移り、今は「飲める」ということが良いことではなくなってしまってますよね。飲むにはお金がかかり、社会全体が貧乏になっているなか、「お金がかかる」は絶対悪(?)です。むろん昔から「飲めない」ことに対して「そりゃお金かからんでいいわ」という評価(?)もなされていましたが、ただ、それは若干の揶揄を含んでのものでした。しかし今は、「お金かからんでいいわ」は切実なものです。
それ以上に重要……というか、それにからんでくることで、そしていつも書いてですまんですが、今は、副業にしても、投資にしても、本業以外にやることが多すぎて、そうしないと人生が立ちいかなくなっていて、すると酒が邪魔だという厳然たる(?)事実がありますよね。
今や、酒を飲まない人は将来的な展望が拓ける、飲む人は刹那的に生きてしまうというふうになっていて、飲む飲まないでいえば、飲むは完全なディスアドバンテージですよ。そのような時代において、でたらめに飲んでいた過去があるとはいえ、少なくとも今は断酒しているのはアドバンテージを得ていることに他ならないと勝手に考えていますが、何か?
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