日韓関係報道におけるマスコミの論理矛盾と、酒を介したコミュニケーションの変容。

酒やめて、1067日。

平成昭和、あるいは江戸、あるいは鎌倉、さらには平安あたりからなのかもしれないですが、酒にはコミュニケーションを円滑化するという役割が期待されていました。酒でも飲んで腹割って話そうというわけですね。それでコミュニケーションが上手くいき、歴史が変わったこともたぶんあったのでしょう。

サシの会談で「決まる」わけじゃない

余談ながら(と言っても長くなりますが)今、日韓関係が最悪で、じゃ日本の安倍首相と韓国の文大統領がトップ会談をすればいいじゃないかという提案が韓国あるいは日本のメディアからも出ています。トップ同士腹を割って話し合えばわかるというものです。

でも、これって絶対おかしい――てことは、少なくともネット上ではいろんなところで指摘されています。韓国の大統領にどれだけ権限があるのかは知らないけれども、まあ大統領なのだから結構あるのでしょう。一方で日本の安倍首相は、じゃあ日韓ひとつ上手くやっていきましょう、あるいは断交しましょうでもいいんだけれども、そんなこと一存で決められないですよ。日本はそういう政治システムになっている。

だいたい、そうしたことを一人で決められるんなら、悲願の憲法改正だってわいの一存でとうにやっとるわい、というのが安倍さんの正直なところでしょうよ(笑)。

そしてそんなことは、公民の教科書をきちんと学んできた高学歴のマスコミ人たちは知り尽くしているわけです。なのにわざと知らんふりをして、韓国が対応を求めているのに安倍さんが拒否しているみたいな演出をしてるじゃないですか。これにはなにかの意図があるとしか思えません。

韓国サイドはといえば、「日本悪ない。安倍が悪い」という論理を展開しています。日本のマスコミはその尻馬に乗っています。私がそれに関連して一番腹が立つのは、我々一般人を完全に見下している点です。「日本悪ない。安倍が悪い」は政治システムとしてあり得ない。しかしそうした論理矛盾があってもどーせ愚民どもはわからんやろそれよりはわいらの主張優先や、がマジ透けて見えます。

個人的にもこれはよくわかるんです。私の周囲にも高学歴マスコミ人が何人かいますが、ある年代以上は完全にそうした「上から意識」「教化意識」持ってますもん。

「酒飲んでわかりあえる」時代じゃないんですよ、もう

まあそれはそれとしても、ですね、こうした日韓関係もそうですが、もう、サシで腹割って話せば物事が進む時代じゃないです。それに伴い、そうした場で不可欠となるであろう酒の地位も低下しています。

昔の小説やドラマなどで、「よし、君を見込んで私が出資しようじゃないか!」などと酒の席で言ったりするシーンが出てきますが、今はそんなことありえません。もし起業したい人に対して誰かが出資するとしたら、当然のことながらその人物の経歴やプレゼンテーション内容が事細かに査定される。いわば「ポートフォリオの時代」です。ですから「一対一で酒でも飲んで腹を割って」というスタイルの、仕事の進行上あるいは人間関係においてのプレゼンスは極めて小さくなっているのです。何事かを成したい人は、酒飲んでる時間とエネルギーがあるなら、それをポートフォリオと企画書づくりに振り向けろ、ということですよね。

酒飲みながらのサシのコミュニケーションというものの社会的地位はますます低くなっていきます。さらに言えば、まあ酒でも飲みながらゆっくり話しましょうという人間は信用できない、人間の底の浅さが見えてしまうような気もするのです。昔の私はまさにそうでしたが(笑)。自戒自戒。

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