酒の悪質さとは、飲酒以外の行為による脳汁噴出を封印してしまうことです!

酒やめて、1774日。

飲酒以外の時間がまったく楽しくなくなるのですよ

ちょっと前に「な~んだ、自分のご機嫌を取ることなんて、酒要らずで簡単だったんや!」という話を書かせていただきました。今さらですが酒をやめるとは、自分のご機嫌を取ってくれる快楽物質=脳汁を出す代替行為を見つけることにほかなりません。これもいつも書いて恐縮ですが。

断酒指南などではよく「代わりの楽しみ」を見つけましょう、みたいなことが言われていますが、私は飲酒時代は、んなもんあるわけねーじゃん、そんな学校ま先生みたいなこと言われてもなー、と反発してました。しかしこれは事実です。先達の言うことには間違いないわ(汗)。

で、その理論(?)の自分なりの解釈を、あらためて備忘録代わりに書いておけば、以下のようになるのではないかと。

酒というものは、脳の快楽物質、このブログでは脳汁と呼んでいますが、それをガバガバ出してくれます。酒を飲むと、もう本当に非常に脳が喜ぶわけですよ。私にしても断酒の日々が1700日超えていますが、このように書いているとちょっと飲みたくなって困ります(苦笑)。まあそれくらい強烈な存在です。

その強烈さゆえに、酒を飲んでいる時はいいけれども飲んでないときは何をやっても脳汁がまったく出なくなるのです。これが酒の支配力ですねー。

アル中、アルコール依存症や、あるいは単なる酒好きもそうかもしれませんが、酒を飲める時間を切望しました。そして飲めない時間は、土の中の蝉状態になります。飲みに行ってはじめて樹上でミンミン鳴けるわけです。このあたりは、景山民夫氏の小説の記述ですが、以前も引用していますね(参考「飲んでいないときは土のなかのセミ? そんな状態はもうゴメンです」)。

普段の生活でも脳汁は出てくれるもんだ!

ということは、酒を飲んでないときの時間が――人生と言っていいかもしれませんが、それがまったくつまらないものになってしまう。酒を飲む以外のすべてのことを嫌々やる人生になってしまいます。

たとえば掃除にしたところでやらなきゃいけないから嫌々します。最悪の場合、以前の私のように、まままま(そういうタスクをする前に)とりあえず酒飲もか、になります。

逆に言えば、たいていの人にとって掃除は嫌々ながらやるものですが、それは飲酒習慣のせいかもしれません。さらに逆に言えば(?)、飲酒習慣がありおなかつ掃除も大好きならば、「まだ大丈夫」かもしれませんね。こういうこと言うのは、このブログの趣旨に反しますが。

さて、酒をやめてみると、掃除をしていても(少量ながらも)脳汁が出とる出とると感じることができます。掃除も捨てたもんじゃないで~トイレ掃除をしたらトイレの神様の思し召しもあるんじゃなかろうかいみたいに感じられるのですねー。つまり、普段の生活もそこそこ楽しい。

というと、お前はアル中だったからそうだろうと言われるかもしれませんが、だったら、元アル中上等ですよね。普段の生活を楽しくできるんですから。「おもしろくこともなき世をおもしろく」の高杉晋作の心境ですよ。この転換は非常に大きいです。

そしてあらためて、酒の悪質さに思いをいたすわけです。酒というやつは、酒以外に楽しいことはないというふうに脳を変えます。少なくとも、人生をハレとケに分けるならば、ケの部分は楽しくないと思わせます。しかしそんなこともない。ここに気づいて良かったと思いますよ。やっぱり。

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