酒やめて、1347日。
酒なしの交友こそがホンモノという気はさらさらないですけど……
酒やめて大きく変わったのは、やはり交友関係ですね。誰かと酒を飲むということはもちろん、ご飯を食べることもかなり少なくなりました。
だからといってそのことを正当化する気持ちはなく、もちろん、酒を飲まなくなって消滅する交友関係なんてホンモノではなかったのだ的な教条主義的なことを言う気持ちもまったくありません。またそう感じてもいません。このあたりのことは以前にも書かせていただいています(参考「酒をやめて失ったものに思いを馳せることも、断酒モチベーションになるかも!?」)。
基本的には酒をやめて良いことばかりだけれども、こと交友関係については、断酒は功罪半ばするのかなとも思います。以下、これから断酒しようという方に、もしかしたら参考になるかもしれないので書かせていただきます。
私の場合、交友関係といっても、やはり、というか、もちろん、というか、酒を媒介としたものが非常に多かったのですね。また、飲むときは私が誰かを呼び出すというパターンが圧倒的に多かったです。あるいは向こうは迷惑だったかもしれません。
もちろん一人で飲むのも好きだったのですが、飲み相手が欲しい時には欲しくなるというきわめて身勝手な感情から声をかけさせていただいていました。いまさらながら、ごめんなさいです。
なおかつ、朝から昼から飲める仲間も欲しく、これはそうそうには見つからないので、SNSで「会」を組織したりしておりました。そうした交友関係を通じて得たものも非常に多いですし、ありがたかったと思っています。
そんなふうに酒を通じて交友というものを築いてきたわけですが、酒をやめて、それが少なくなった、いわゆる人付き合いが希少になったのですね。
ただ私に限らず世の中の多くの人も、コロナによって交友関係というもののを見直すことになった、というか見直さざるをえなくなったわけですよね。少なくとも、外で酒を飲んだり、ご飯を食べたりするということが非常に少なくなったと思われます。今後、どうなるかはわかりませんが。
私の場合、そうしたことに加えて酒も飲まないので、交友の占めるプレゼンスが、自分の人生の中でどんどんシュリンクしていったわけです(大げさ)。
酒やめると、交友というものが新しい意味を持ってくるかと
くり返しますが、それがいいことなのかそうでないのかはわかりません。
一つ言えるのは、以前は年がら年中誰かと会って飲んでいたけれども、今はその飲んだり食事をしたりする機会がめちゃ減って、だからそれが一つのイベントになってることですね。そこは非常に良い点なのではないかなと、手前味噌ながら思っています。
都合よく論を進めれば、誰かとの飲食がイベントになるというということは、その誰かを大事にすることにもつながるのではないか、と。
繰り返しますが、それは決して酒を通じた仲間は本当の仲間じゃない論ではなく、イベント会食を通じて、相手の重要性を知るということだったりします。
あともう一つ付け加えるならば、コロナによって、あるいはSNSの発達によって、誰かと会って飲食をともにし知見を得ることが、必ずしも重要でないことがわかった……というと言いすぎですが、少なくとも「会う」以外に知見を得るチャンスがもう本当にたくさんあることがわかったわけですよね。
昔の、私を含めた酒飲みは、情報交換のためにとか新しい知見を得るためにということを酒を飲む理由にしがちでしたが、そこの部分においては、酒の地位は非常に低下しているというふうに言えるのではないでしょうか。