「酒は人生に彩りを添えるもの」ですら、もうアウト・オブ・デイトな時代か。

酒やめて、2504日

out

アル中になるか「彩り」で済むかは入口ではわからない

少し前に、飲酒の第一歩は「環境」によるものというテーマ(?)で、日大アメフト部のことを取り上げさせていただきました(参考「「自分軸の時代」ということから、日大アメフト大麻汚染問題を考えてみると」)。環境によって飲酒を始め、それが多くの場合一生続くのが、これまでの日本人のパターンだったと言えるでしょう。

そうしたなかでアル中になる人もいるけれども、一方では普通に飲み続けてめでたく現役引退し、その後はアル中になろうがどうしようが自由! という立場になれる人もいたわけです。「酒は人生を彩るもの」で、一生上手くやっていく人も大勢いました。

ただし、いったんアル中やアル依になってしまって、あるいは予備軍もそうですけれども、そういう人は「酒は人生を彩るもの」の世界には絶対戻れないのが定説であり、医学的に証明されていますし幾多の先輩方も証明しているところであります。

実は一番ヤバいのは、予備軍が「俺は適正飲酒者だ( ー`дー´)キリッ」と言いつつ、そして断酒者に向かって「お前はもう飲めないけど俺は飲める(そういう俺は優れた人間だ)( ー`дー´)キリッ」で飲む、というパターンであることもいつも書いている通りです。こういう輩は、もともとのパーソナリティに拠る部分が大きいので一応、除外しておきましょう。

さて「環境」によって飲酒を始めたとして、①アル中になるリスクもあるけど、②「酒は人生を彩るもの」で済むケースもあり、それは飲酒の入り口ではわからない。わしもわからんかったもん。

「彩り」にしても時間は奪われるのですから

この①②を上手く説明しているのが「ジン横丁」と「ビール街」です(参考「飲酒形態の二極化が意味するところは何か」「「ジン横丁」に描かれた18世紀のイギリスに、今の日本があまりにも似てきていてヤバいんじゃないかという件」)。ただしこの18世紀のイギリスの場合は、貧困=「ジン横丁」(≒①)、富裕=「ビール街」(≒②)という経済的格差がベースにあるので、現在の日本と必ずしも同じわけではないのですが。

そしてここからが本題なのですが、現在の日本というところの社会では、もはや「ビール街」的飲み方さえも許されないのです。

そうした飲み方でも時間を奪われることに変わりなく、その奪われる時間は将来の原資になるべきものですから。賢い若者はそれがわかっているということもまたいつも書いている通りです。

でもって以下のようなことは言えないでしょうか。

今までだったらアル中になったらただただ不幸であった。が、世の中、変わっている。アル中の底付きを体験した上で断酒したケースでは、そこで多大な時間を得たことを自覚でき、その時間を有効に使うことができる。

ということは、ですよ、「人生に彩り与えるもの」として飲み続けている人よりも断酒erの方ができることが多い! という論が成り立つのですよ。いつもながらの断酒er理論かもしれませんが(汗)。

人生いくつになってもやり直しできるなんて言いますし、飲んでいる時代はなにを綺麗事言ってんやがるんでいっ! みたいにも思っていましたが、いやいやいや、これはまったくの事実なんだなあと勝手に感慨している次第であります。

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