【今さらですが】断酒してはじめて、「飲み会嫌い」の理由がわかったような気がするのだった!

酒やめて、2198日。

飲まなくても「飲み会嫌い」!?

ちょっと前に「静けさの心地よさを覚えてしまった世の中で、 酒さんの立場はこの先どうなのよ、といった話」を書かせていただきました。コロナによって飲み会というもののプレゼンスが社会の中で小さくなり、それがある程度定着したことは確かでしょう。この辺は組織にもよるのでしょうけれども。ただしどのような組織に属している人でも、行かない権利が、程度の差はあれ拡大したこともまた事実だと思います。

これは飲まない人に限らず、です。お酒を飲む人の中にも、飲み会嫌いは結構います。

なぜ飲み会が嫌かというと、よく「気を遣うから」というふうに言われて、まったくその通りなのでしょうが、ちょっと考えるところ(?)もあるので、余計なお世話ながら断酒者なりに考察してみたいと思います。

いうのは、アル中以降→断酒者にとって飲み会は、当初は結構面白いものであり、それはなぜかというと飲んだくれどもが酔っ払ってどう変わるかを観察するのが楽しかったからです。そして飲む飲まないにかかわらず、飲み会が嫌だという人は、こうした感情の裏返しではないかと。口幅ったいことを言えば、アル中→断酒者だからこそ、飲み会嫌いの真の思いがわかるというものです(そうなのか?)。

本性に接する剣呑さは確かにあるのだ!

人間が飲んで酔っ払うと本性が出てくるなんてよく言われますが、要は人間の脳というカバーが外れ、犬の脳、ワニの脳が表層に現われるということです(参考「そこの飲んだくれの方、「それでも家に帰れている」はエビデンスになりませんよ!」)。

会社などで仕事上仕方がないから付き合っている人間の、そうした犬の部分やワニの部分なんて絶対に見たくないじゃないですか。でも飲み会にいると、そいつが酒を飲んで本性を出すタイプの場合、それに接しざるをえない。これって相当に剣呑だと思いますよ。「剣呑」の「剣」でいえば、真剣に素手で触るようなものです。あるいは焼きごてに素手で触るという感じでしょうか。この辺は、飲む飲まないにかかわらず(しつこい)、飲み会嫌いのすべての人がなんとなく思っていることでしょう。

普段は(一応は)社会的なペルソナを身に付けている、自分があんまり得意じゃない人間が、そのペルソナを外してくるので、隣同士になったりすると、わかりやすくいうと地獄です。こうしたことが、飲み会を忌避する心理的なポイントないのではないかと、今さらのように考えたりするわけですよ。新発見でも何でもないのですが、断者者という「逆」から見るとよくわかる部分でもあります。

さて考えてみれば、飲んでた時代は自分がその「真剣」「やきごて」だったわけで、そのことを考えると、本当に穴にでも入りたいという思いを強くしますし、とりあえず、その構造が見え、反省できた点もまた断酒の収穫かと。身勝手ですが。

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