酒やめて、1922日。
なぜアル中は「否認」するのか
アル中やアル依は「否認」の病気と言われます。いわく、「俺は自分の酒量はわかってる」とか「あいつはアル中だけど俺はそこまでいってない」とか「俺は飲んでも自分を見失わない」とか、そういうふうなエクスキューズを口にするようになるというのですね。これは、もはや世間の常識になっています。
じゃあお前はどうだったのかと訊かれれば、それはなかったですね( -`д-´)キリッ と自慢することじゃないですね。なぜなら私の場合、否認のさらに上、いや、さらに下だったからです。
どういうことかというと、いったん否認してしまうと、一応世間の手前もあるのでアリバイをつくりながら飲まなきゃいけなくなるわけですよ。アル中じゃないと言ってしまった手前、アル中的な飲み方ができなくなるのです。
私の場合、もうそんなことにエネルギーを使いたくないというレベルのところまで行っていたので、自分はアル中ですと宣言して、だから飲んでどこが悪い( -`д-´)キリッ 状態でした。そうすれば正々堂々と飲めるというものです。もし私が経済的に死ぬまで安泰で、なおかつ社会的責任もすでに果たしていて、さらには人生でやりたいことがない、という状態であれば、そのまま開き直りアル中道をひたすら突き進んでいたでしょう。
それはともかく、大抵の人は私のレベルまで来れてない(威張ることじゃない)。だからやっぱり否認するわけです。アル中アル依グレーゾーンの人でもそうです。いや、グレーゾーンの人ほどそうかもしれません。
では、なぜ否認するかというと、酒さんが洗脳するからですよね。酒さんは、お前はまだまだ飲める特別な人間なんだと囁いてきて、そうだ俺は飲んでもいい人間なんだという自己正当化を促します。やがてそれが、自己肥大へと発展します(参考「酒さんが、飲酒者をして「俺すげ~」にしてしまうメカニズムとは?」)。試しに周囲の「俺は飲んでるけど飲まれてない」みたいなことを公言している人間をよく観察してみてください。飲酒以外の部分でも「俺スゲー」になっていますから。
絶望的な輪廻が完成してしまう!?
こうした人はさらに「武装」するために、今度は他者のアル中認定を始めます。冒頭の「あいつはアル中だけど俺はそこまでいってない」がそうですね。
で、そもそも論として、アル中アル依というのは指摘されやすいんですよ。なにしろ、多重サイマーからもディスられますからねー(参照「アルコール依存と多重債務、どっちがよりヤバいか?」)。
アル中がディスられやすいのは、やっぱり反道徳的な症状である、つまりだらしがないと思われがちだからでしょう。本当はそんなことないのに。というか、アル中は病気です。なのに、お前はガンだ、なんて言う人はいないのに、お前はアル中だ、という人は結構いる。ちなみに私の知り合いには「あいつは糖尿だ」などと公言する輩もいます。生活習慣病もアル中まではいかなくても、そういう輩の古い道徳心を刺激するのでしょう(参考「アルコール依存症は病気なのにポリコレ対象になっていない現状について、さらに深く考えてみる」)。だいたい糖尿なんて、生活習慣以外の要因で罹患するケースも多いのに。
そんなふうに自分を守るために他者を攻撃する人間がいて、確かにアル中には攻撃されやすい側面がある。だから攻撃されたほうも、自分を守るために「俺はアル中じゃない」と否認してしまう。
となれば、これはもうウロボロスというか、虎がバターになるというか、まあ悪しき、絶望的な輪廻であり、そこから抜け出すのは、昔の私のように認めて開き直ってさらに飲んで破滅に向かうか、あるいは断酒しかないという二択なのですね。
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