酒やめて、レジャーにおける指向が「パッシブ」から「アクティブ」になった。その理由とは。

酒やめて、2580日

テレビつけっぼなしが気持ち悪い!?

現在、私の住んでいる家にはテレビ受信アンテナがなく、したがってテレビ番組を視ることができません。しかし父の付き添いや自分のことで病院に行くと、地上波のワイドショーなどを視ることがあります。

そうするとなんかイライラしてくるのですね。これはくだらないとか、そこでの報道(?)ぶりが偏向しているからということではなく(それもあるけどw)、つけっぱなしのテレビからなんらかの情報が脳に入ってくるのが非常に心地悪い、パッシブに情報に接するのが気持ち悪いのです。そういうふうに精神が変容したのかもしれません。断酒して以来。

なのでそういう時でも、ノートPCで仕事をしたりこんなふうにブログを書いたりします。その方が脳的にはるかに楽です。パッシブな状態でいるよりも、アクティブな状態でいるほうが、脳として心地よいようになってきたのですね。もしかしたら、自分軸の時代と言われる時代に適応しているのかもしれません( ー`дー´)キリッ

ただし、時代とか社会的にどうこうというよりもやっぱりこれは本能的なもので、ホントに脳の構造が変わってしまったのだなあと思います。というよりも、飲んでいた時代の方が変だったのでしょう。

つまり酒さんによって、脳が魔改造されていたのですね。

やっぱり「パッシブ」は酒さんの戦略だった!?

というのは、テレビのようなパッシブなレジャーというものと酒は非常に相性がいいからです。酒を飲みながらバラエティーなどを視る。そうするとあっという間に時間が経ってしまいます。それを当たり前として生きてきたのですが、今考えれば、おこの沙汰であり、そして完全に酒さんの思うツボでございます。

テレビのようなパッシブなレジャーは、酒がないとつまらない。ましてや地上波番組のように非常に低レベルのコンテンツだと、酒でも飲んでないと視てられない(参考「コロナ禍で「体験」が難しくなっている今、いかに良質なコンテンツ消費をしていくかで人生決まるよねという話」)。そう考えると、テレビがコマーシャル以外にもコンテンツのなかで酒さんをやたら推奨するのも理に適っているのでしょうし、アルコールとテレビで馬鹿にすれば、施政者にとってもいろいろやりやすい面もあるでしょう(参考「Working Class Heroで揶揄されている人間になっている場合じゃないのだった」)。

ただそれじゃあ、人生ホントに馬鹿をみるということはあるのですが、それは主にまだ未来がある若い人においての話で、ジジイ的には話はもっと矮小です。

とにかく酒なしのパッシブレジャーはつまらないということを脳が悟り、お楽しみは完全にアクティブなものに転換している。これもまた、一昨日書いた「生活の組み替え」の一環かもしれません。

またそのようなアクティブなお楽しみは、ランやサーフィンがその典型ですが、飲酒ほど強烈じゃないけどドーパミンを出してくれるものなので酒の代替になります。

酒さんの立場に立って考えるとそんなことをされても困るので、パッシブなレジャーに引き留めておきたいんでしょうけど。

裏を返せば、パッシブなレジャーを捨てることが、断酒の一歩になりえるかもしれません。「酒やめてランしよう」は理想ではありますが、その前にまず「テレビを消してランしよう」もありだと思います。

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