不安定な時代に立ち向かっていくには、「楽観」×「諦観」が最強の武器になる件【どちらも酒やめれば得られます】

酒やめて、1760日。

「大量飲酒習慣がある」イコール悲観ベースで生きることだった!

酒をやめたばかりの頃、そうですね、1カ月か2カ月くらいの頃でしょうか。断酒友が再飲酒の「恐怖」についてこんなふうに言っていたのを覚えています。

(再び)酒飲むとさあ~、鬱っぽくなるのが怖いんだよ。

いや、この感覚は実によくわかり、私の場合もそれが大きな抑止力になっていました。

断酒友も私もフリーランスというきわめて不安定な立場なので、仕事が途切れたりすると不安に陥りがちです。なのでこのような思いは切実でしたし、酒をやめて得た「楽観」ベースの考え方というものが非常に貴重なもののような気がしていました。そうなんですよ、酒をやめると、すべてに楽観的になります。

これは、酒飲んで肝臓の働きがアルコール分解で手一杯になると、幸せ物質であるセロトニンの生成が抑えられるから、という理屈があるようです。そうしたことはだいたい飲んだ翌朝に起こる(≒世の中と対峙するのがめちゃ恐くてまた酒飲みたくなる)のですが、怖ろしいことに、素面(と自分が思っている)のときでも悲観ベースになります。そのあたりの脳のメカニズムはよく分かりませんが、確かにそうした実感があり、それは断酒友も同じだったので、ほとんどの常飲酒者にありがちなことではないでしょうか。

断酒友が自身のブログに書いていたことですが、仕事仲間に酒を飲まない男がいて、彼はいつもニコニコしていた、と。リーマンショックや東日本大震災とそれに伴う民主党失政で日本全体がどん底に陥ったときでも、そして我々フリーランスの仕事が激減したときも、なんとかなるよという感じだったらしいのですね。それを断酒後に読んで、なるほど~と思いましたねー。

つまり、ですね、楽観ベースというのが人間の本来の姿なのでしょう――もちろん不安遺伝子というものを多く持つ人間ほどリスクマネジメントに長け生き延びてきたという説があり、まったくその通りだと思いますが、それはそれとして……(汗)。

ともあれ、適度かつ必要な「楽観」を酒が阻害し、人生すべてを「悲観」でおおうということです。実際、アルコール依存症だとうつ病の発症率が高くなることはよく知られていますし、また依存症やアル中に限らず、毎日飲んでいれば、だんだんそうなっていきます。断酒友も私も、それが怖かったのです。

同調圧力に、飲酒による「ねばならない」が迎合すると……

やっぱり酒は悪質ですよ。もう一つ、酒には「思い込み脳」にしてしまう悪質さがあります。こちらも、実感だけがエビデンス(?)なのですが。

以前も書いたことがありますが、酒を飲む習慣があると、そしてアル中に近づいていくと「ねばならない」という考え方が支配的になってきます。むろんもともとの性格もあり、ねばならないと考えがちな真面目(?)な人ほど、酒にとらわれやすいと言えるのではないでしょうか。

そしてこれが同調圧力と結びつくと簡単に人生破壊してくれます(参考「酒による「ねばならない脳」に同調圧力が加わると、かなり強力な人生破壊兵器になるという件」)。同調圧力によって提示された「幸福」の姿に、飲酒によって強化された(?)「ねばならない」が迎合すると、まさに、そうしなければならない(たとえば一軒家に住んでRV車に乗って大型犬飼って子どもは私立中学に入れラルフローレン着せる、みたいな)になりますが、当然ながら現実はうまくいかず、そのギャップに身悶え不幸になり、当然ながら経済的にも破綻をきたしてしまうのです。

ところが酒をやめると、不思議なことにそうした「ねばならない」から解き放され、いい意味での「諦観」というものが生まれてきます。これもおそらく人間の本性なのかもしれません。人生なんてそんなもんだと「諦観」ベースで考えられれば、めちゃラクになります。

そしてこんな時代――社会構造が大変革しまったく先の見えない時代だから、この「楽観」×「諦観」で生きていくことが、なんというか、武器になるような気もするのです。酒をやめれば、すぐにこの二つを得られるということですね。

そんなこと言ったって実際に仕事がなくて金が入って来なければどうしょうもねえじゃねえか、という人もいますけれども、それが典型的な飲酒脳の考え方のような気も(笑)。

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