断酒してあらためて、「喧噪」と「静寂」の関係について考えてみた。

酒やめて、1606日。

こいつらよくそんなに騒がしくできるよなあ、と

ちょっと前のことですが、妹一家主催で老齢の父のための「父の日会」をやるというので、久々に実家に行き、その父の日会とやらに参加してきました。父と妹家族と私というメンバーだったのですが、まあ妹一家がうるさいです。みんな大きな声でよく喋ります……なんて私も飲酒時代はまったくそのクチだったので、私の飲酒時代を知ってる方は、どの口でゆーかーお前がーになることは間違いなしですが、とにかくこいつらよくこんなにでかい声でベラベラ喋れるよなあと、冷静に観察するとともに少しイラついた断酒者なのでありました。

そのうち、連中の大声にあたったというか、なんだか疲れてしまって帰りたくなりました。こういうのもほんとに不思議な感覚です。飲酒時代、飲み会などで飲まないメンバーもいたけれど、きっとこんな思いを抱いていたと思うと、いたたまれなくもなりました。

こうした感覚は、あまり飲んでなかった時代、すなわち大学に入学したばかりの頃、気が進まないサークルの会合に参加したときに似ていたりもします。その時も早く帰りてえなあこいつらよく飲んでよく騒ぐよなあと思ってました。

そのうち私も人一倍飲むようになり、人一倍騒ぐようになったので、ついぞ忘れていた感覚ではあります。

ちなみに、早く帰りてえよなあと当時同調していた、あまり飲まないかつてのサークル仲間と一年前くらいにちょこっと電話で話したら、今やまったく飲んでなくて、注射を打つ際にアルコール消毒したら肌がかぶれたよ、なんて言ってました。まあそんな人間でさえ飲み会に参加させられていたのですから、大学のサークルの飲みというのはやっぱり異常ですよ。今も昔も。

さて、酒やめてから、そういうふうなある程度人数が多い飲み会の喧騒というものが苦手になりました。飲酒時代は「喧噪の素」だった私がそうなのだから、変わればかわるものだし、喧噪が苦手なのに飲み会に出ていた方、今さらながらごめんなさい、という感じです。

考えてみれば、飲酒時代は飲み会じゃなくても、いつも喧噪を求めていた気もします。家でもテレビもつけっぱなしのことが多かったですし。今は、テレビの喧騒はイラつきます。

静かに暮らすと、いろいろ見えてくる……か!?

で、今、私はお一人様なので、まったくの静寂の中で毎日暮らしているのですが、これがまた心地よいのですね。かっこよく言えば、自分自身と向き合う時間も増えた。さらにはいろいろなことに思いを馳せる時間も多くなり、それが多少は仕事にも反映できているのかなとも思ったりもします。

思うに人間という存在は、静寂ベースで生きるのが本当のところなのでしょう。ところが飲酒習慣があると、いつも喧騒ベースで生きてしまい、つまり飲んでない時でも喧騒の中にいないと気が済まないような心持ちになってしまう。少なくとも私はそうでしたし、余計なお世話ながら飲酒者は誰でもそういう傾向になってしまうのではないでしょうか。

ともあれ、静かな生活は心地よいです。これも酒やめたから気づいた人生の真実なのかもしれないなあ、と。おおげさながら。

にほんブログ村 酒ブログ 禁酒・断酒へ
にほんブログ村

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする