静けさの心地よさを覚えてしまった世の中で、 酒さんの立場はこの先どうなのよ、という話。

酒やめて、2190日。

コロナ5類で飲み会は復活するのか? 余計なお世話ながら

いよいよコロナが5類になるそうで賛否両論(たとえば「新型コロナ「初夏から5類」に残るモヤモヤ感」)があるようですけれども、「否」の意見のなかで結構目立つのが「えー、飲み会復活すんのかよー(泣)」ですね。ただ、飲み会とはすっかり縁が薄くなってしまった外野から言わせていただければ、飲み会が完全消滅することはなくてもこのコロナ3年間で地位はかなり下がっており、さほど「復活」に気をもむ必要はないのではないでしょうか。

少なくとも、「5類だあ飲み会やるぞおお!」の輩がレガード扱いされることは間違いないでしょう。そしてそれに伴い飲み会強制力はかなり低下するので、あとはスルーできるかどうか、個人に委ねられる部分になる。心配している方は、個人に委ねられるから心配なんだよお、なのかもしれませんが。ただ、「飲み会でもないよね」の雰囲気は、味方になってくれるものと勝手に確信しております。

さて、この飲み会というところのものは、「喧噪」とともにあります。私は飲酒時代、その喧騒が好きでした。というよりも、喧噪をつくり出す大元ですね。だから飲み会が嫌な人からすれば、あいつがいるから行きたくねーの「あいつ」だったと思います。会社員時代などはとくに。申し訳ないす。

酒がもたらす喧噪がウザいんですよ

さて、コロナで飲み会をはじめとした人の集まりごとというものが少なくなるにつれ、世の中全体がだんだん「静か」になってきた、と思います。コロナがらみでテレビなどがあまりにもくだらないことをまくしたてていて、それで「喧噪」的なものが嫌いになった人もいるでしょう。

人類はここにいたって、静かさの心地よさを覚えてしまったのですね(大げさ)。少なくとも個人的には、あー人間これでいいんやという気がすごくするのですよ。

それ以前、飲酒時代は喧騒を追い求め、何か音が鳴ってないと寂しく感じていたのは、いったいなんだったんだろうと思ってしまいます。

そして「飲み会の喧噪」に代表されるように、酒さんは喧噪創造装置です。なぜ、酒を飲んでいる人間というのはああも声高に自己主張したがるのか。いつぞやも書いたことがありますが、人間、酒を飲むと自分語りが大好きになりますし(参考「自称適正飲酒者は、自分語りがお好き!?」)。まあ、飲酒時代の私を知っている方がこれを読んだら(怖)「おまゆー」の極致でしょうが。

ともあれ今は、喧噪も自分語りもあーうざいうざい、でありますよ。そうしたうざさからコロナで少し解放され、その心地よさを世の中全体として一度知ってしまったからには、もう元には戻れないと思うのであります。そうした中で、やはり酒さんの地位はますます低下していくということですよね。

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