酒提供の場は末期的な症状を呈しているのか(希望)。

酒やめて、2680日

学生時代は普通にケーキ屋に行っていたのに

先週まで出張続きで、土日は家に戻って出張で聞いた話のまとめなどをやっていたのですが、どうも家だと煮詰まってしまうので、自宅近くの意識高そうな、したがって私にはハードルの高いカフェに思い切って(大げさ)行ってみたりしました。

でもって当然のように甘いものを食べるのですが、先日、行ったカフェでマフィンを頼んだら横にアイスクリームがついてきて、こういうのをアラモードスタイルというのでしょうか、そういえば大昔、学生時代は、デニーズでもアップルパイの隣にアイスクリームがついてきていたなあということを思い出したのでした。

学生の時はそんなに酒を飲んでなくて、というか経済的に飲めるような状況でもなく、サークルの集まりなども先輩がウザいので(その先輩に数十年後、娘の就職を頼んだりもしたが)、あんまり行きたくなかったクチで、その一方でケーキ屋さんにはよく行っていました。当時は、男子大学生がケーキ屋に行くのはわりに一般的な行動だったようにも思います(参考「【お役立ち記事?】東京スイーツ屋さんものがたり」)。

その後、社会人になって飲むのが楽しくなり、当時はバブルでしたのでいいお店などもいろいろ連れてってもらい、そもそも自腹で飲むこともあまりなかったのですが、たまに同僚と飲むようなときは居酒屋を振り出しに調子に乗って2次会3次会と行き終電がなくなりタクシーで……ということも多々ありました。別に女性のいるお店に行かなくても、かなりの金額を一晩で遣っていたと思います。残業代も多かったし、一方で税金や社会保障費は今のように「鬼」じゃなかったので、可処分所得でいえば今の若者よりもかなり多かったのです。

せんべろが市民権を得た背景にあるもの

それが、失われた30年の間に、私のような者はもちろん、世の中全般としてお店で使うお金がどんどんどんどん少なくなり、やがて「せんべろ」なんていう言葉と実態が出現し、私などはもうすっかりせんべろ愛用者になったのでありました。周りもみんなそうで、飲み方が地味になり……ということは、お店全般も飲食を安く提供することに主眼を置くようになっていったのですね。高田馬場みたいな学生の街は、焼き鳥一本50円みたいな店もどんどん増殖しましたし。

そうした時代背景(大げさ)のなか、せんべろで飲むのが若い女性なども当たり前のようになって、つまり市民権を得てきたところにコロナですよ。コロナ禍、あるいはコロナ禍開けにおいて、究極的存在として飲み放題980円といった店が現われ(参考「博多にて、元アル中が思う。アル中への入り口が、こんなにカジュアルになっていいもんなんか!?」)、もう行きつくところまで行ったという事態になったような気がします。そしてそれが定着しているという感じでしょうか。

つまり、アル中に近い人間、のん兵衛と言っていいと思いますが、そうした人を相手にする店は、どんどんデフレスパイラルに陥っている。この諸事値上がりのご時世のなかで、末期的様相を呈している。断酒er的には、まあ大変ですなあと冷ややかに見ている次第でございます。

その一方、断酒erがカフェで使うお金といえば1000円から1500円くらいじゃないでしょうか。せんべろとある意味、近接しているのかもしれません。

ただしカフェで過ごす時間は、私などはちょっと緊張するけれど豊かな気もします。そして何よりも客層が全然違う。せんべろあるいは酒屋の軒先などのお客さんは、やっぱりアレですよ。むろん自分もその一部であったし、そういうところで飲むのも楽しかったんですけれども。

ただ、なんというか意識高いぽい人にかこまれて過ごすのもそんなに悪くないなあ、学生の頃に戻ったみたいでいいもんだなと思ったりもする次第でございます。

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