その食に対する執着は、酒によって引き出されていたものだったんやああああああ!

酒やめて、1708日。

ふぐで白い飯が食えるかーっ!

一昨日、酒をやめたら生活の中での食のプレゼンスが小さくなり、結果的にそれが時間を生んでくれるという話を書きました。食に対する関心がなくなることが、いいことなのか悪いことなのかわかりません。もちろん食には、人生を豊かにしてくれるという側面もあるでしょう。

ただ私の場合、というか多くの常飲酒者もそうなのじゃないかと推測するのですが、食への関心あるいは執着は、かなりの部分、酒が引き出していたものだと思うのですね。

たとえば「ふぐ」です。私は飲酒時代、とにかくふぐが好きで好きでしょうがなかったです。ふぐを食べるためなら悪魔に魂を売ってもいい、てな感じでした(参考「粗食に慣れることと、それによる時短もまた断酒の効用だと思う」)。北大路魯山人もふぐとわらびを、海と山のそれぞれの最高の美味としています。

で、魯山人先生がどうだったかは存じ上げませんが、私の場合、ふぐに対する執着は、あきらかに酒が引き出していたものでした。要はふぐを食べながら、美味い酒を飲みたかったのです。ちなみにひれ酒はあまり好きでなく、普通の焼酎のお湯割りだったり純米酒の冷を、ふぐ刺しで飲りたかったのです(遠い目)。

ただ酒をやめた今はですね、ふぐにはまったく関心がないです。なぜかというとふぐで白い飯が食えるかーってことですよ。そして酒好きが好む多くの食材が、これに該当するのではないか。焼き鳥の皮だって大好きだったけど、これで飯食いたいと思いませんもん。おでんもそうだし、タラの芽の天ぷらなんてのもそうです。まあノンアルコールビールだといいですけれども。ただノンアルコールビールの話をしだすと話が散らかってしまうのでここでは措いておきます。

おかず能力が高いおかずを希望します!

余談ながら昔、私が飯をつくるとき、子どもに何を食べたいかと訊いたら、よく「おかず能力が高いもの」という返事が返ってきました。逆に言えば私は、酒オリエンテッドなおかずばっかりつくっていたのです。それで飯を食えというのも無理な話だったのかもしれません。そういえば、ドリフターズのコントで、スナックのおねえちゃんと結婚したら朝食にチャームが出てきたといったものがあったように記憶してますが、それと似たようなものかもしれません。

繰り返しますが、このように食への関心あるいは執着は酒が引き出していたものだったのですよ。そして酒というものがなくなると、食に対する関心もシュリンクしていきます。結果的にそれが時間を生んでくれるということを一昨日も書きましたし、しつこいようですがこの点について声を大にして訴えたいのであります。

酒をやめると、人生のあらゆる局面で価値観が転換します。失うものもあれば得るものもある。でも得るものが「時間」だった場合は、そこには非常に大きな意味があると考える次第であります。

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