元アル中が断酒を続けているだけでも社会的に賞賛されるのに、その先にもっといいことがあるよという話。

酒やめて、1436日。

「アル中から立ち直った」ことへの社会的評価とは

阪神淡路大震災から26年。1月17日が近づいたからでしょう、こんな記事(「被災、アルコール依存症… どん底から再起の男性、断酒会で立ち直り支援」)を見ました。

あの時の震災で前途を失い絶望から酒に溺れホームレスまで落ちたところ、医療施設や互助会の手助けで立ち直り断酒を続けている方の話です。記事によれば今は、断酒15年目ということになります。

阪神淡路大震災に関連付けたものとはいえ、ただ15年も断酒し社会貢献をしている方は社会的に賞賛される存在、としている記事と言えるでしょう。

ただ一方では、違和感を覚える人もいるかもしれません。というのはやはりアル中になるのは自己責任であり、そこから立ち直ったからといって別に褒められることではないという社会的通念も抜き難くあると思われるからです。

これはアル中あるいはアルコール依存症を病気と考えるか否かということにもよるでしょう。病気でないのなら、そこから立ち直ったからといって賞賛に値することではありません。しかし病気と考えれば、認められてしかるべきですよね。こういっては語弊があるかもしれませんが、我々アル中→断酒者も、池江璃花子さんと同じステージに立てる(?)ということです。ファンの方からすれば何を言ってやがるんでえ、かもしれませんが。

アル中、あるいはアルコール依存症が病気であるという認識はだんだんと浸透しています。ですから断酒しただけで、そしてそれを続けただけで褒められる……というと変ですけれども社会的に認められる世の中になりつつあるというふうに、まあ断酒者的には強引に考えておきましょう。

では私自身、一人の断酒者としてそれを実感しているかというと、4年近く酒飲んでないと何かの機会で話すと大体以下のような反応が返ってきます。

①「あー俺も酒やめたいんだよねー。やめなきゃいけないと思ってるんだ。どうやったらやめられるのか教えてくれ」

②「えーそんなに続いてるんだすごいね(棒)。(まあ俺はやめないけどね←こう思っていることがミエミエ))

③「そりゃお前の場合は酒やめなきゃ、どうもこうもならんかったけど、俺はやめる必要は認めない。俺はこれからも飲んでいく( -`д-´)キリッ」

てな感じでしょうか。ま、日本では、そしておっさんコミュニティではこんなもんでしょう。

アメリカでは酒やめるとそれだけで賞賛されるらしい!

アメリカなどでは、アルコール依存症=病気ということが完全に定着しているので(そうらしい)、たとえばハリウッドセレブが酒をやめると手放しで賞賛されます。勝手に酒に溺れ勝手に立ち直っただけなのに社会的な評価を受けているのです。冒頭の記事もそうですが、日本もそうなりつつあります。

酒をやめるというのはほんとに辛いけれども、ただやめただけで社会的な賞賛が得られ評価が上がるのは、考えてみれば実においしい話ですよね。少なくともそう思い込むことが断酒モチベーションにはなります。一昨日書いたこと(参考「「断酒している」優越感を断酒継続のモチベーションにするという力技について(笑)」)に引き続いての「力技」ですけれども(苦笑)。

そしてこれは確かにおいしい話なんですけれども、もっといいことがあるんですね。それは、断酒していると自分で自分を褒めてあげられることです。このことについては度々書かせていただいていて恐縮なのですが、いくら強調しても強調しすぎることはない「もっとおいしい話」だと、少なくとも私自身は思っています。

断酒しているというその事実が大きな自己肯定感を醸し、断酒後の人生を切り開いていく原動力となる――というときれいごとのようにとらえるムキもあるかもしれませんが、少なくとも私自身は(しつこい)「断酒している俺―!」ということを自分の中核にすえることで、何事も成せばなるという自信と粘り強さが備わったような気がしています。人生も後半になってそんなことでは情けないちゃ情けないのですが。

ただそういうふうなものを得られただけでも断酒した意味はあったと思いますし、私のような成功体験に乏しい人間にとっては本当に大きなことだったと。

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