「アルコール依存症は病気である」問題を考えてみる。

酒やめて、1794日。

「アルコール依存症は治らない」ですと!?

現在、いわゆるアルコール依存症と呼ばれる人の数は300万人とされており、予備軍は1000万人とも言われています。労働人口の7分の1です。これはすごい数ですよ。

最近では「アル中」という呼び方をしなくなっているのはご存じの通りですが、「アル中」という言い方にこだわる医師もいるそうです。なぜならば「依存症」だといかにも病気であり、治癒させようという努力が他人任せになってしまうからだとか。自分は中毒だと自覚することが大事なんだそうです。

このあたりを考慮すると、やはり「病気」であるにせよ、非常に特殊な病気だというふうに言えると思います。

そのアルコール依存症の特殊性ですが、よく「完治しない」とも言われます。たとえ断酒を何年続けたにせよ、それは依存症患者が飲んでない状態であるだけ、なのだそうです。いやー、まさに、キリスト様でもこんな残酷なことは仰らなかった@丸谷才一先生ですよ(苦笑)。

なぜ完治しないかというと、酒が入ると快楽物質を出すスイッチが脳内にできてしまっているので、たとえ断酒していても一度飲むとそのスイッチが再び入ってしまう(だから以前のような酷い飲み方に戻ってしまう)から、というわけです。

それはもちろんそうなのでしょう。ただし、何年断酒しても依存症患者が飲んでないだけ、という「論理」にはちょっと抵抗感を覚えてしまいます。それは「医の論理」やろー、と。今回のコロナ禍を通じて医師会に代表される「医の論理」というものにやっぱり不信感を持ってしまったこともその一因です(もちろん、現場の医療関係者は大変だったでしょうし感謝していますが)。

医師も意志も必要ないのであった!

「医の論理」とは、要は「病気をつくる」ってことですよ。だからひがんだ見方かもしれませんが、今、オミクロン株だなんだでコロナ復活の兆しが見えている中、医の専門家とそれを利用してコロナ騒ぎを煽りたいメディアは嬉々としているようですねー。誤解を恐れずに言えば、彼らはコロナ依存症ですよ。

ま、コロナ云々はともかく「病気をつくる」という側面はあると思います。そして「依存症」も病気で、それを治療するために医学的なアプローチが必要というのは、まあ当然でしょう。薬物も非常に有効だと聞きますし。でも「依存症」に対する医学的アプローチがことさらに強調されるのは、なんだかコロナに対するそれと同じ論理のような気がするのです。考えすぎですかね。

むろん「病気」認定されていい点もあります。それは、原則ヘイトされないということですね。「アルコール依存症」ではなく「アル中」だと、どうしても「だらしない」とか「意志が弱い」とかといったヘイトを受けがちです。ただ「依存症」でもヘイトしてもいいという雰囲気があることも確かで、私などは、多重債務者からヘイトされていたので、めちゃ理不尽を感じていました(参考「「アル中」ははたしてポリコレの対象になるのかならないのか。これは病気か否かということでもあり、断酒メソッドにも関わる問題です」)。むろん債務の場合、その理由は人それぞれでしょうが、あきらかに自身の遊興起因の多重サイマーから「だらしない」とヘイトされるのは心外ですわ(笑)。

とまあ、医の専門家やらメディアやら(特定の)多重債務者に対して文句を言ってまいりましたが、結局、何が言いたいのかというと、ですね、確かに「依存症」は病気であるから医アプローチが有効かもしれない。ただし非常に特殊な病気であり、医の力がなくても治癒できる。しかもよく言われる意志の力も必要ない。医師×意志が必要ないというわけですね(上手いことゆーたったすまぬ)。

必要なのは情報です( -`д-´)キリッと、いかにも断酒ブログ的結論すまぬになってしまうのですが、その情報は、酒は身体にとってこんなにやばいというものだけでなく、むしろ「飲んでる場合か」ということと自分の状況を付き合わせた上での社会的な情報であり、これによって治癒できるのではないかというふうに思ったりもするのです。

そうすると論の帰結として、多重債務者ほど飲んでいる場合じゃないになるのですが、実際にはそういう人もいて、そんな反面教師が存在しているという「情報」もまた断酒に役立ったりします。

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