「俺は飲んでもいい人間だ」アピは、酒から逃れられてない証拠です。

酒やめて、1970日。

arrogance

その「傲慢」は酒のせいですよ

ちょっと前に、断酒ブログとしては重要なテーマにも関わらず、書くのが難しかったため今まで避けてきたこと――再断酒について書かせていただきました(参考「「再飲酒」という大問題について、思うところを述べさせていただきます」)。ただし書ききれなかったなあと思っているところもありますので、誰にも頼まれてはいませんけれども、もうちょっと深掘りさせていただきます。

断酒をし、そして再飲酒するときに人間は理由をつけたがります。一番多いのは前にも書きましたが、なん~だ俺って飲んでいい人間だったんだんやああああ! ですね。これには、一定期間、断酒したという自信もあるのかもしれません。

でも私は、それは違うと勝手ながら考えています。

それは、酒が言わせているんですよ。逆に言えば、断酒を何年続けようが、このような心理状態に陥るということは、酒さんからまだ逃れられていない。ここのところを一番言いたかったのであります。

飲酒習慣があると自分の飲酒習慣を正当化するために、ぶっちゃけ「傲慢」になります。そしてこれが、こと飲酒に限らず、すべての考えや行動に反映されるから結構やばいよ、ということはいつも書かせていただいている通りです。

自己正当化に「他者」を使うのはやめてください!

そしてそうした「傲慢」が再飲酒するときも出ちゃうわけですね。俺は特別な人間だと思うのです。そして、そのことを確認するために他者を利用します。私はそのまさに「他者」であり、「お前と違って俺は」の「お前」だったので非常によくわかるのです。

ただ繰り返しますけれども、それは酒によって人格を魔改造されているからであって、だからこそ小田嶋隆さんの言う通り「神秘的なほど」共通しているわけですよ。

普通、人格というと、育った環境やもともとの遺伝子などによって千差万別になるはずですが、飲酒という一つの要因でつくり出されるからこそ、共通したものになるのではと思います。

だから同情(?)の余地もあることはあるのですが、ただ「他者」としては非常に鬱陶しいです。いや、別にいいんですよ、ご本人が「俺は特別」と考えて飲もうがどうしようが。どーぞどーぞですが、酒によって改造された人格をアピールされるのは、まったく割りに合わないです。

で、余計なお世話ながら申し上げると、そのように傲慢ベースで生きている人は、今の激変の時代にはおよびじゃないし、それに加齢が重なったりすると、まったく使えない人間になりますよね。

もちろん私も酒を飲んでいるときは、傲慢ベースでした。そして今は、傲慢か否か、自問することが自分が酒の罠にとらわれているかどうかの判断材料になるのでは、と思っております。

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