「探究」する姿勢が大切だというけれども、飲酒を続けているとそのもとになる知的好奇心がなくなってしまうのが問題だよねという話。

酒やめて、1438日。

「探究」でドーパミンを出せば勉強も楽しくなる!?

今、教育の現場では探究学習というものがクローズアップされています。簡単に言うと、自分の好奇心に基づき一つのテーマを調べ考察していくことで、思考力や表現力を養うといったものです。

ただし名門といわれる私立一貫校では、今に始まったことではなく、このような学びを大昔から伝統的に行っていたといいます。ですから巷間よく言われる、日本の官僚は灘・開成で受験勉強ばかりやってきたからダメだという批判は、まったくのお門違いということになりますね。

それはともかく「探究」です。脳科学者の茂木健一郎先生などは、こうした探究の姿勢が一般的な教科学力まで上げてくれると言っています。

このような学び方をすれば、脳内ドーパミンが出るというのですね。そして勉強が楽しくなる。だから、これを組み合わせることにより、記憶型や演習型の勉強も、なんとか楽しくやっていけるというわけです。

いやー、これは結構画期的なことだと思いますよ。だって我々世代は勉強なんてもう嫌で嫌で仕方なかったですからね。当然ながら。

昔、漫画家の相原コージさんが、学習参考書と漫画をそれぞれ女性のタイプに準えていました。今のコンプライアンスに照らすとあまりよろしくないので、どういうことかは言及しませんが、まさにそんな感じでしたよ。

それに引き換え、今の子たちはやり方次第で勉強が楽しくなるとは、なんとうらやましいことよと思いますわ。

他にドーパミンを出す行為を求めなくなるから、飲酒は怖いのです

ただ、そんな私でも、大人になってからは仕事は楽しいと若干ながらは思うようになりました。このような感覚を持つ方は、多いのではないでしょうか。

それは、やはり社会の仕事というものは、我々世代にとっての勉強と違って、まさに「探究」であり好奇心ベースでやっていける……というときれいごとのようですが、そういう側面もあるからです。そして自分で考えてどんどんやっていけば、まあたま~には認められ、それがドーパミンを出してくれ、仕事=楽しいと脳が認識するようになる……ときもあります。いつもじゃないですが、勉強よりはずっといいです。

ちなみにその正反対の人もいます。勉強という評価軸ではいつも認められていたのに、社会に出ると評価軸が複雑になり、そして前述したように社会というものはたま~にしか認めてくれないので、そのギャップに悩んでしまう、というのです。

ともあれ、好奇心ベースの活動をしていけば仕事も楽しくなるし、ひいては人生も楽しくなる、ということは一応は言えると思います。

手前味噌のようになりますが、私などもわりとそういう好奇心ベースの大人の探究活動(変な意味ではない)に熱心だった気もします。一方仕事仲間には、そんなこと調べてどうするのそんなこと知ってどうするのみたいな斜に構えた態度を取るやつもいて、私は勝手に軽蔑していました。

でもって、いつもながらの断酒者ご都合理論になりますが、過飲酒は好奇心ベースの探究姿勢を阻害します。なぜならそれは、最高にドーパミンを出してくれる行為だからです。飲酒さえあれば、他にドーパミンを出す行為を求めなくなるんですよ。それが本当に怖いところだと思います。

しかし、これだけ世の中が変わっていく中で、大人だっておっさんだって、探究する姿勢がないとどうしようもないわけです。新しいことを常に吸収していかないと、向上できないだけじゃなくて、サバイバルすらできない時代ですよね。

このように探究しながら生きていく、ということを考えても、飲酒は邪魔なのかもしれませんね。

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