酒やめて、1660日。
機械式腕時計は本当に意味ないのか?
先日、仕事を振ってくれているプロダクションの社長と電話していたら、仕事の話そっちのけ(?)で腕時計の話になりました。その方は高級とされる(むろんご自分でそう言ったわけじゃないですが)機械式の腕時計をいくつか所持していて、えーどんなの持ってるんですかと強引に訊くと、GS(グランドセイコー)×2、IWC(ポルトギーゼ)、ユリスナルダンとのこと。なかなかのコレクションですねー。
それはいいのですが、でもこんなの持っていてもさあ、今このご時世、して行くところもないし、子どもにあげるたってうちは娘二人だもんなあ、孫にあげるにしても、おじいちゃんこの腕時計、電話もできなきゃ音楽も聴けない、おまけに時間見ようとしたら止まってたりする……みたいなことになりかねないよね、てなオチになったのです(苦笑)。
この点についてはしばしば揶揄されるところでもあり、機械式腕時計って役に立つのってことですよね。以前もこのテーマ(?)について書かせていただいています(参考「ジジイになったら高級腕時計を身につけたほうがいいこれだけの理由(酒やめたら買えちゃいます)」)。
ただ、お洒落というか自己主張というか、そういう点では男はアクセサリーの類を基本的には身に付けられないですから、唯一身に付けられるアクセサリー、つまり腕時計にくらい凝ってもいいんじゃないかという説は成り立ちます。そうしたことはファッションアドバイザーとして有名なMBさんもおっしゃっていますよね。
むろん、若い人はアクセサリーを身に付けてもいいでしょう。ただジジイ世代になると、「お洒落よりも身だしなみ」「他人からヘンに思われない」「これみよがしにならない」が金科玉条です。私なども娘からときどき「服好きの痛いおっさん」呼ばわりされますが、そうした「痛さ」は娘の前ではいいけれども、お得意さんの前ではやばいです。アクセサリーの類は身に付けられないのはもちろん、とにかく「これみよがし」にならないよう気を遣う必要があります。その分、唯一許されている腕時計のプレゼンスが高まる、と思うのであります。
腕時計――目立たない普通の三針式のそれであれば、どんなに本人の思い入れがあり、高価なものだったとしても、誰かに何かを言われる筋合いはありません。
「美歯」を追求してもだ~れも文句言わんもんねー!
もう一つ、おっさんが思い入れ凝ってもいい(?)聖域があって、それは「歯」ですよね。ホワイトニングや矯正、あるいはセラミック義歯などで「美歯」を追求するのも、誰はばかることなくできることです。前歯を削ってセラミックをかぶせる……までやってしまうと「痛い」の範疇でしょうけど。
で、なんだかスピリチュアルぽい話になりますが、目立たない、でも自分の思い入れのある機械式の腕時計をする、あるいは「美歯」を追求することは、人生好転の要素にもなりそうです。
ともあれ、このおっさんに許される二大聖域はある程度お金もかかりますけれども、酒やめると経済的余裕ができるので可能となるという側面がまずあります。
そして腕時計の場合、とにかく高いのを買っても酒飲んで外してなくすということがない、というのも大きいです。私がTwitter上で断酒仲間と認定させていただいている方々も、腕時計ほしい→買ったみたいな話をよくされています。また余談ながら、昔は海外に行くのに高級時計はNGなどと言われていましたけど、今や、とくにアジアの場合、日本人以外のほうがいい時計している時代ですからねー。
「美歯」についても、酒をやめると、まず寝落ちがなくなるので歯を汚くする最大の要因が消えます。またワインなどステイン付着要因も排除できます。
つまり、おっさんに許されたお洒落――「痛い」「これみよがし」にならない外見アピールと言ってもいいと思いますが、その二大聖域である腕時計と歯は、単に経済的な問題を超えて、酒をやめるということと分かちがたく結びついている、そしてこの二つは断酒を続けるモチベーションになる、さらに先述したように、人生好転のための動力にも(一般的なお洒落とは異なり)なりえる! ということを言いたかったのでありました。