酒のおかげで自分は「陽キャ」だと思い込んでいた愚か者がここにいますよ。

酒やめて、1816日。

自意識過剰なのに自己肯定感が低い最悪のパターン

先日、高校の同級生と話していて、彼の娘さんが高校時代に文化祭の実行委員をやっていたという聞き捨てならない(?)話を聞いたので、「なんだ、〇〇ちゃん(娘さんの名前)て主要メンバーだったんだ」と言ったら、「そうなんだよお、主要メンバーだったんだよおお」と不本意そうに答えたのでした。

なぜそんなふうなやり取りになったかというと、我々二人は高校時代、まったくもって「主要メンバー」ではなかったからです。

今でいうとスクールカーストの下の方というのでしょうか。ただし本人たちはそういう意識はなくて、トーマス・マン(ビヨルン・アンドレセンの自伝映画が公開され、『ベニスに死す』の原作者として再び脚光を浴びているようですね)やサリンジャーに傾倒し、ピストルズやヴェルヴェッツに心酔し、バスウィージンのローファーを素足で履いて登校し、つまり本人たちはイケてると思っていて、部活動に打ち込み五教科七科目の勉強をしっかりやっている連中をむしろ見下していたのですが。完全な馬鹿です。そしてそのときは、やがてアル中となって、スクールカーストの下どころか社会の底辺に落ちぶれるとは夢にも思ってなかったのでした(苦笑)。

で、そんなふうに斜に構えていたからといって成績が良かったわけでもなく、何かをやり遂げたこともなく、自意識だけが異常に膨張している一方で成功体験がないせいで自己肯定感は超絶低く、まあ今で言えば完全に中二病をこじらせていて、それをサブカル属性を気取ることで糊塗していた、と、そういう感じですね。かえすがえす馬鹿ですし、アル中になる素養もあったというわけです。

でもって彼の娘さんも、昔から知ってるのですが、絵など描いていたせいもありなんとなくそういうタイプだと思い込んでいたので「文化祭実行委員」には大いに驚かされた次第です(失礼!)。

素の自分の「陰キャ」が心地よいのだった!

さて、そのような、今で言えば「陰キャ」な高校生活を送っていたわけですが、大学生になり社会人になり、以前も書きましたが「趣味飲酒」などと社内報の新入社員紹介のところに書いたおかげで酒席にもよく誘われるようになり、だんだん酒を介した社交というものを覚えていったのですね。そうすると驚くべきことに自分のこじれた部分は消えて、いかにも「陽キャ」のように振る舞えるようになったのです。これはわりに新鮮な体験でした。

そしてここからが愚か者の真骨頂なのですが、実は自分は根っからの「陽キャ」だと思い始めたのです。飲酒生活とともに。

ただしそのような飲酒との蜜月は長く続くわけもなく、フリーランスになってからは「社交」としての酒も減り、一人飲みも多くなりました。

で、酒をやめてみると、なんとなく陰キャだった高校時代を思い出し、あーこれが素の自分なんだと思ったりもしている次第です。

とまあ私の場合はそうだったのですが、逆に、というか、意識して陽キャになるために酒を飲む人もいるらしいのですね。

そのように自分をプリテンドするために飲む酒は、その時は良くてもやっぱりいろんな意味で自分の人生に澱を溜めていく……と思ったりするのですよ。

今、酒やめて、あんまり人付き合いしたくないですし、もともと得意じゃなかったので、ほんとにラクになったなあ、としみじみしている次第であります。ヴェルヴェッツ聴きながら。

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