「酒は悲しみを半分にする」ですって!? それは絶対嘘ですね!

酒やめて、1602日。

借金に追われたら修道院に駆け込めばいい!?

一昨日、「生きていくのはそんなに大変じゃない。今までが大変すぎたから」といった話を書きました。お釈迦様のことを例に出したのですが、ちょっと言い足りなかったと感じているところもありますので、誰にも頼まれていませんけれども補足&深掘りさせていただきます。

といっても私は別に仏教徒というわけではありません。家は浄土真宗ですけれども、まあ多くの人がそういうパターンでしょう。「家は……」という感じですよね。

ただ仏教には若干興味があって本も読みました。それによれば、浄土真宗というのはもう完全な他力本願ですね。阿弥陀様にすべてをお任せしましょうということで、キリスト教であればカトリックに似ていると言えるかもしれません。カトリックも、基本的には教会にすべてを任せましょうというスタイルですから。

ちなみに辛酸なめこさんの近著『女子校礼賛』には、カトリックの女子校を卒業したら、いざというときは修道院に逃げ込める、実際、借金に追われてそうした卒業生もいる、みたいなことが書かれていて、なるほどお~と思いましたけれども、そういう側面はあるでしょう。

一方、プロテスタントは、こんなふうに大雑把に言っていいのかどうか分かりませんが、自力で頑張らなきゃいけない宗派ですよね。仏教でいえば禅宗に似ています。真理は日常生活の中にある、というコンセプト(?)も似ているようにも見えます。

そしてお釈迦様が始めた原始仏教というものは、その禅宗に近いらしいです。つまり自力救済です。お釈迦様は出家していろんな困難に遭遇しながら自力で悟りを開きました。でも、そんなことは誰にでもできることじゃねーよということで、大乗仏教が生まれ、その究極形として浄土宗のような、もうぜーんぶ阿弥陀様にお任せ! という仏教がある、と昔習った記憶もあります。

お釈迦様ならぬ凡夫だって四苦八苦から逃れられるだ!

では、なんでお釈迦様が悟りを開こうと考えたかというと、この世には四苦八苦(Wikipedia)の苦しみがあるからですね。そしてこれも超絶大雑把に言えば、そこから超越した存在になりたいという思いがあったからです(そうなのか? 違っていたらごめんなさい)。

これについてもなるほどお~と思います。この世は四苦八苦に満ちています。でも実は断酒すると、その四苦八苦から逃れられるんですねーということを一昨日も書きましたし、それどころかこのブログで度々書かせていただいています。

これはですね、実は「科学」なのだ、と自分では思い込もうとしています。

というのは、断酒すると脳の構造が変わり、いつもステディな気分でいられます。ですから四苦八苦にも対処しやすい。逆に言えば飲酒脳だと感情の振り幅が非常に大きくなってしまうので、四苦八苦に遭遇したときに、ものすご~く衝撃を受けてしまうのですね。それを非常に重いもの(いや、四苦八苦だから重いんですけど)として受け止めてしまう傾向があります。

よく、「酒は悲しみを半分にする」なんていうじゃないですか。それは嘘も嘘、大嘘ですよ。飲酒習慣によって感情過多になると、悲しみは当然のように倍にも三倍にもなります。もちろんその前半部分の「酒は喜びを倍にする」というのはある程度合っているかもしれませんけれども。

でも私の場合、喜びは倍にならなくてもいいです。悲しみが倍、三倍になるよりはよっぽどいいです。それは多くの人に共通した思いではないでしょうか。そしてそれを断酒が可能にしてくれるのです。お釈迦様ならぬ凡夫の身としては、断酒が四苦八苦を軽減する一番簡単な方法であるし、ある意味アル中→断酒者の特権であると考えている次第ですが何か?

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