大量飲酒習慣が偽うつ状態を日常にすることをあらためて確認しました。

酒やめて、1252日。

https://movies.yahoo.co.jp/movie/340078/

うつになるのはセロトニンの欠乏だそう

少し前に話題になった映画「ツレがうつになりまして」をGyaO!で無料配信していたので観てみました。いやいやいやええ話やんというのが、面白くもなんともない感想ですが、ひとつ気づいたことがあったのでそれについて書いてみたいと思います。

この映画でも語られているように、うつになるのは要はセロトニンが減少してしまうからなのですね。もちろん医学的にはもっといろいろ複雑なんでしょうけれども、一応、そう言ってもいいようです。

セロトニンとは脳内幸せ物質と言われているものです。そしてお酒を飲んだ翌日はこれがなくなることもわかっています。つまり、いわば「偽うつ」状態になるのです。

なぜなくなるかといえば、セロトニンを生成する物質は肝臓でつくられるのですが、酒を飲むと肝臓が解毒で手一杯になり、その物質をつくることができない、とまあ、こういう理屈のようです。

一方、なぜうつの人が酒も飲まないのにセロトニンが欠乏してしまうのかは、いろんな理由がありよくわかってないのが実情です。

ひとつわかっているのは、深酒するのは、わざわざ自分からうつになりに行っているということですね。

日常が不幸ベースになる不幸さといったら……

そして恐ろしいことに、大量飲酒習慣があると二日酔いの朝だけではなくて、日常すべてが「うつ」ぽくなります。「偽うつ」ですね。考え方が後ろ向きであり破滅的である、ということです。というふうに言うと、うつの方に失礼で「一緒にすんなや」でしょうが、実感でもあります。これは断酒友も言っていたので、ある程度、アル中、アル依存、さらには常飲酒者に共通したものなのでしょう。

で、断酒友も、酒やめると人生楽観的になれると自身のブログに書いてましたし、うつ状態になるのが怖いから断酒を続けられるといったようなことも言ってましたね。これはすごくよくわかります。繰り返しますが二日酔いの朝はもちろん、普段もなんとなく不幸ベースで生きてしまうのです。そうなるのはもう嫌です。というか、断酒して幸せベースな心持ちになるとは夢にも思いませんでした。これも断酒モチベーションの一つですね(参考「酒飲んで不幸ベースで生きるか、酒やめて幸せベースで生きるか」)。

映画の中で、うつになってしまった「ツレ」であるところの堺雅人が、服を着たままシャワーを浴び続けて「僕ここにいていいのかなあ」とつぶやくシーンがあります。あるいはやはり映画の「ボヘミアン・ラプソディ」で、フレディ・マーキュリーが曲づくりをしているときに、sometime wish I’d never be born at all と口ずさみ、バーンとピアノの鍵盤を叩くシーンがあります。飲酒時代の日常は、まさにそんな感じです。

まあアル中と一緒にされては「ツレ」もフレディもいい面の皮でしょうけれども、確かにそうです。俺なんか生まれてこなきゃよかったんだベースで生きていました。

年中、飲んでない時でもそんなことを思っていました。ですからそれから脱せられただけでも、断酒効果なのかなあと(参考「「俺なんかいつ死んでもいいんだ」症候群から抜け出した朝のこと」)。

まあ、今も周りは「お前なんか生まれてこなきゃ……」と思っているかもしれませんが……て、これは一見、飲酒時代の後ろ向き思考のようですが、不思議なことに飲酒時代は、あまりそこまでは気が回らなかったのですね。まったく迷惑なことでした(笑)。

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