酒さえ飲まなければ、あとは何をやってもいいんだという(勝手な)開放感。

酒やめて、2628日

「あれやりなさいこれしなさい」を背負って生きてきたのだった

タイトルですが、いやほんと、酒やめてこれはホントに感じるところであります。

人間は、小さい頃から学校年齢までは、親や教師から「あれやりなさいこれしなさい」と言われて育つわけですよね。それは、成長に必要なことなのかもしれません。

でもって就職してからも、上司や客先からやはり同じように言われる。そうした中で追い立てられるように生きてしまう。まあ、そこで酒に救いを求めるというパターンに陥り、私のようにアル中への道が開けてしまうのですが。

アル中云々はともかく、とにかくあれやりなさいこれしなさいと言われ続けると、それがある種の習い性のようになる。そして、そのオーダー(?)に対して上手く結果が出せないときは叱責が待っているので、常にそれを意識しながら――怯えながらと言っていいのかもしれませんが生きてしまう。

ということは、ですよ、このような社会生活というか人生を送ることは、もはや「原罪」に近いものがあると思うのですよ。

あらためて「原罪」というものを調べてみると、「現代の西方教会においては、罪が全人類に染み渡っていて罪を不可避的にする状態の中に、全人類が誕生して来る状態を指す表現として理解される傾向がある」(Wikipedia)とあります。要するに自分を罪深い存在だと思え、ということですよね。

その伝でいくと、日本の浄土真宗が、なーんもせんでええよと言ってくれたのは結構画期的なことだと思いますが。

断酒はそれだけで大事業なんですよ!

えーと何が言いたいかというと、ですね、社会生活を営むにあたって生じる責務みたいなものが「原罪」化していて、それからの責め苦を負うのが当たり前のような人生を送っている、と。少なくとも私はそうでした。

その感じ方は人によって違うのでしょうけれども、私にとってのそれはホントに「重荷」でした。無責任と言われればそれまでですが。

でも酒をやめると、そうしたことからもうまったくもって解放されるんですよ。

どういう理屈かといえば、酒を飲んでいないということがもうもはや原罪に対する償いであるのですよ。

酒をやめるということは、フィジカル的には、やめて半年ぐらいすればそれほど大変なことではなくなります。ただ精神的には、やっぱりこのようにブログを書いたりと、常に飲まないのはいいことなんだぞ、と自分に言い聞かせたりしなければいけないという意味において、結構、大事業だと思います。

そして大事業なんだと自分で言い聞かせることによって、つまり酒を飲んでいないことだけでも大したものなんだということを言い聞かせすることによって、他の背負わなければいけない荷物をすべて脇に置くことができる。これって、考えようによっては非常におトクなディールではないかなと考えたりする次第です。

キリスト教徒は酒やめたって原罪から逃れられない(たぶん)ことを考えれば、日本人特権でもありますよね。

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