「ボトムライン」を断酒と決めてしまえば、こんなラクなことはないよという話。

酒やめて、2456日

「コトを成す」人はみんな意識している!?

タイトルの「ボトムライン」ですが「最低限」と訳すこともできます。そしてこの「最低限」には、「自分が守りたい最低限の矜持」「自分に課した最低限の課題」みたいな使い方もあります。

生き方のボトムラインというとかっこ良すぎるけれども、何かコトを成すことができる人間は、おそらくそうしたことを意識するしないに関わらず自分の人生に組み込んでいるように思います。そうした毎日の積み重ねが「コトを成す」につながる、というか。

まー私なんかからすれば、もっとも遠いところに位置する生き方ですわ。

ただ、一方では、自分を甘やかしてもいいんやで~、こだわりなく生きるのも大切なんやで~という考え方(?)もあり、これはこれで真実だと考えます。

で、そのあたりの兼ね合いというか両立というか、それが難しい。とまあ、そうした難しいことを考えてしまうわけですよ。そしてそれを「解決」するのが、断酒というわけなんですねー、これが。

つまりタイトル通りで、断酒していると、そのことが自分にとっての「ボトムライン」になる。それによって、先ほどのようなことで悩まなくいいというメリット(?)が生じます。

ノーブレス・オブリージュを意識するのは無理ゲーだから

似たようなことは以前も書いていますね(参考「【断酒er特権】「ゴールが二択」で単純化されているから生きやすいのだ」)。

このこととは別に、「あれだけ好きなお酒をやめたんだから、後は好きなことしてもよかろーもん」という局面もまたあります。

でもって、そうしたことを統合して言いたいのは、断酒すると、ものすごーく生き方がシンプルになるということです。

なにしろ酒さえやめていれば、それが自分の人生で最低限やるべきこと=ボトムラインなのだから(しつこい)、あーわしはなんのために生きているんやろ、とかは考えなくていい。

私の場合はあまりそういうことは考えないタチなのですが、ただ、最低限の矜持をもって生きていきたいとは、誰もが本能的に持っている要求だと思います。

が、それがなんだかわからないし、そしてそれを下手なプライドみたいなものと勘違いすると、ヒジョーに生きにくくなってしまう。たとえば、高学歴であるがゆえに人に頭を下げることができない人間って私の周りにもいます。さっさと謝っちまえよ、とか思うのですが、それができない。

そういうしょーもないプライドが、本人のなかで「ボトムライン」になってしまうと生きづらいし、周囲から見ても、なんかみっともない。

ただ、そういうのとは違って、いわゆるノブレス・オブリージュみたいなことを意識しながら生きるのは、とくに私のような人間にとっては無理ゲーってもんです。

だから断酒ですよ、旦那、てなことに論の帰結として(?)なります。断酒をボトムラインにすれば、それだけで「最低限の矜持」「社会貢献する」「気高く生きる」みたいな、これまで縁がなかったような生き方が見えてくる。

なんかこれって、生き方としてヒジョーにラクなんじゃないすかねー、と思ったりするのですわ。理屈ぽくてすまんが。

カテゴリ別インデックスページはこちらです。

にほんブログ村 酒ブログ 禁酒・断酒へ
にほんブログ村

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする