「俺なんかいつ死んでもいいんだ」症候群から抜け出した朝のこと。

酒やめて、1097日。

飲酒時代、朝、目が覚めて、いつも最初に思うことがありました。死にたい。毎朝、この思いとともに目覚めていたような気がします。

いつか酒で野垂れ死ぬと思っていた

一つには二日酔いが酷かったこともあります。肝機能が年々低下し、アルコール分解に時間がかかるためでしょう、毎朝、酷い二日酔いで、その状態が「死にたい」という気持ちを引き出していたのだと思います。

思えば若い頃は、飲んだ日のほう(その頃もだいたい毎晩飲んでいましたが)がよく眠れるせいか、翌朝はむしろ目覚め爽やかという時もありましたが、そんな感覚は遠くに過ぎ去り、齢とともに重い頭を抱えることが常態化し、それが午前中いっぱいは続いていました。

身体的にはそんな感じなのですが、精神的にはやはり将来に対する不安がありました。経済的な不安もそうですが、このまま酒を飲み続けていたら多分破滅するだろうなあとの思いがあり、それはいつか酒で野垂れ死ぬだろうという確信に他ならず、だったら早い方がいいと考えていました(格好よく言えば)。

今も、私の周りのアル中やその予備軍には、俺なんかいつ死んでもいいんだと公言している人間もいます。で、ハタから見て、それはとてもダサい。

なぜダサいかというと、そういう発言からは、酒飲んでる自分を世間に許容してもらおうという甘えのようなものが透けて見えるからです。と、他人事のように言っていますが、その気持ちがわかるということは、過去の自分ももちろんそうだったのです(笑)。

またもや酒に騙されていたのか!?

私の場合、なぜ公言通り(?)死ななかったかといえば、もちろん怖かったからですよ(笑)。なにしろ、実際にアルコール起因で死にかけてますから。そのときの経験で、死ぬ、というか死にかけるのは死ぬほど怖いことがわかっていました(参考「高血糖はじわじわと身体を蝕むが、低血糖は死をごく身近に感じさせてくれるよという話」)。

また現実問題、母が末期ガンでさすがに母よりも先に死ぬわけにいかんだろうと思っていたことと、子どもが大学生でまだ学費諸々がかかったという理由もありました。

さて断酒してしばらくの間は、やはり、死にたいという思いとともに起きていました。しかしある朝、そうですね、酒やめて一年くらい経った朝、ふと気づいたんです。俺、死にたいと思ってない。

これはわりに新鮮な発見でした。死にたいと心底そう思っていたかどうかはともかく、そう思うことが「習い性」になっていたのに、そこから、ついと抜け出したのです。

すごく大きな転換でした。

今は、朝起きるとき、世界が俺を待っている、とまでは当然ながらいきませんが、よしこの布団から出て行こう世の中そんなに悪くないぞ、程度の感覚はあります(笑)。

結局、「俺なんかいつ死んでもいいんだ」症候群も酒が脳を騙していたということだったのですね。今思うと。

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