酒やめると、異文化体験に心が向くようになるのだった(大げさ)。

酒やめて、1722日。

浜松に行ったら、せんべろよりも浜松餃子だ(当たり前)

先週、所用があって浜松に行ってきました。浜松といえば浜松餃子です。宇都宮と「二大」とされますけれども、やっぱり食べてみたいわけですよ。で、当然のようにいただきました。普通の中華屋の餃子とはちょっと違ってあっさり系で、いくらでも入るという感じです。ちなみに飲み物は「ホッピー・ソト(だけ)」にしました。

どこかに行ったらその土地の名物を食べたいというのは当たり前の心理であって、浜松や宇都宮の餃子もそうだし、盛岡なら冷麺、札幌ならスープカレー、仙台なら牛タンということになるのでしょうか。ただ、伊勢に行って松阪牛食べたり、伊豆に行って金目鯛を所望したりするのは一気にハードルが高くなってしまいますけれども。

ですから餃子などB級グルメ的名物は間口が広く、ありがたいことだと思います。

しかし、です。飲酒時代の私だったら、浜松行ってじゃあ浜松餃子が食べたいかというと、たぶんそうならなかったと思います。だいたい、アル中というところの者は、全国どこに行っても安く飲むことしか考えていないので、どこかせんべろ系の店を探して、浜松の場合、せんべろにも浜松餃子はあるのかもしれませんが、そういう名物よりも酒、そして全国どこにでもあるようなつまみということになつたでしょう。ま、威張ることじゃないですが。したがって、いつも言っていて恐縮ですが、酒を常飲する習慣があると体験が画一的になるのです。

普段が「粗食上等」なので、なおさらイベント飯がありがたくなる

えーとここまで書いてきて気づいたのですが、浜松と浜松餃子を例に取ると、話がわかりにくくなりますね。というのは、餃子は酒の肴能力が非常に高いものだからです(だから飲み物は「ホッピー・ソト」になったわけですし)。居酒屋評論家の太田和彦さんは、ビールに一番合うのは餃子!と喝破(?)しています。

そこで、たとえば札幌に行ってスープカレーを食べる、仙台に行って牛タン単品ではなく麦飯とセットになった牛タン定食を食べる、ということを考えると、わかりやすいと思います。こうした食体験は、一般の人にとっては、「ぜひしてみたい」ものでしょう。

ところが、アル中ならずとも飲酒プライオリティの高い人間はそういうものには目がいかんのですよ。どこへ行っても、酒、であります。いや、太田さんのような高級な(?)酒飲みなら、その土地土地の地酒や海産物に目が行くのでしょうが、少なくとも私の場合、なかなかそうはなりませんでした。

そもそも飲む前提ならスープカレーや牛タン定食は考えられず、そういう意味では名物に触れるチャンスをなくしてきました。

で、酒をやめると、どこかに行ったら、その土地の名物を食べたいとかその土地ならではのお土産に買って帰りたいという、当たり前の欲求が出てきます。つまり行ったことがイベントになるんです。異文化体験というと大げさだけれども、かつてなかった気持ちが高まります。逆に言えば、全国どこの街に行っても安く飲めるお店を探して同じようなことをやっていたのはもったいなかったなあ、と。

なおかつ、酒をやめると普段の生活も粗食になっていて、わりといつも同じようなものばっかり食べています。これは人それぞれでしょうが、私の場合はそうです。いいことなのか悪いことなのかわかりませんけれども、だからこそちょっとした名物の食体験でもイベントになって心に残るという構造にもなるかと思います。異文化体験がぐっと身近になるのです(大げさ)。

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