酒やめて、1004日。
「死ぬまで働け」の時代だから
前回、断酒友のそのまた友だちに酒を飲まない人間がいて、妙に人生を楽観している、といった話を書きました。
人生とは、不安で一杯であるものです。私のようなおっさんにとっては、老いへの不安もあります。その中身は健康ということ以上にやはり経済的なものだったりします(というよりもこのふたつは「セット」で考えるべきでしょう)。
はからずも「年金のほかに2000万必要」問題が顕在化しています。同時に今後は、働いていても年金減額されないようになるそうです。なんのことはない、死ぬまで働けってことですよねー。つまりこれからは、私たちはそういう社会システムに対応していかなければならない。そうしたことの重要性は、今の社会制度から考えて、当然、若い人ほど、大きくなります。若い人ほど、酒飲んでいる場合じゃない、というふうに言えるわけですね。
一方で今、若者を中心に酒飲み業界(?)では、「ストゼロ問題」というものが発生しています。安くてすぐに酔え、しかも飲みやすいストゼロは、人生の諸問題を解決してくれるというわけです。
実は私もストロングゼロ大好きでした。断酒して千日を超えた今では、スーパーやコンビニの棚に並ぶ酒に心動かされることはほとんどなくなりましたが、ストゼロ(およびその類似品。要はストロング系果汁チューハイ、とくにロング缶!)だけは、あの魅惑的な缶デザインを見ていると、グラグラッと来ます。
よく、ネット上で下のようなビジュアルを見ますよね。まったく秀逸だと思います。
ストロングゼロがすべての不安を消し去ってくれるというわけです。
「断酒」という自信で社会不安に立ち向ってやろうじゃないか!
ストロングゼロを飲んで忘れることができても、本当の解決にはならない――なんて、道徳的なことを言うつもりはありませんし、もちろんそんな資格も当然ありません。
世の中の酒飲み業界では、「ストゼロだけは手を出したらあかん」ということもよく言われています。「底辺汁」という言葉もあるそうです。ストゼロを愛用する人は底辺の人間という意味です。その伝でいけば、私などはもう底辺も底辺、ボトムオブ底辺でございます。なにしろ、キンミヤ(焼酎)をストゼロで割って飲んでいましたからねー。
で、話を戻せば、まあとにかくストゼロはその名の通り、社会的なプレゼンスも強烈なわけですよ。
し、しかしですよ、それよりも強烈強力なものがある。それが「断酒」です。
「わいは断酒を続けているんやでえ」という自信のようなものは、ストゼロを飲む以上に、将来や社会の不安に立ち向かう力の源泉になる。そう強く言い切って自分を納得させ、この稿を終わりたいと思います。