酒やめて、1160日。
「酒をやめると人間関係が失われる」は本当か?
これから酒をやめようと考える人にとって、一番ネックになるのは、人間関係が失われてしまうのではという危惧かもしれません。よく、酒を介した人間関係などホンモノではなく、そんなものはそもそも必要ないんだという意見も聞きますが、私はそうは思いません。
これは年代によっても違うのかもしれませんね。おっさんたちの場合、酒を介した人間関係がほとんどになってしまっています。情けない話ですが(笑)。
私の場合は、飲み友がそのまま断酒友に移行した(参考「断酒を続けるにあたっては、やっぱり「断酒友」は必要です!」「酒やめてまるまる3年。自分なりに「断酒のコツ」をまとめてみた!」)というケースなので、この辺はラッキーだったかもしれません。ただもちろん飲まなくなって、関係が希薄になった、なくなってしまった友人も何人かいます。
同時に仕事が失われたケースもあります。
会社員時代の同僚でずっと一緒に仕事をしてきた人間がいて、私がフリーランスになってからは仕事を発注したくれたりもしていたのですが、その彼とは、なんだかやはり疎遠になりましたね。あるとき別の仕事仲間に、「やっぱり酒飲まないお前が気に食わないんじゃないの」みたいなことを指摘されて、そうだなあと納得したこともあります。
これはひとつの例ですが、ほかにも何人か、学生時代からの友人も含め疎遠になりました。どれだけ酒を介した付き合いをしてたのだという話ですが。
で、たまにそのことを考えなくありません。酒をやめて失ってしまったものもあったなあ、と。そして、酒を介した関係はホンモノではないだから失っても良いとは、決して思いませんし、また彼ら彼女らと酒を飲みたいなーと思うこともあります。
人間関係に対する執着心が薄くなるとラクになる
ただ一方で、やはり酒をやめることによって、その辺の執着心はかなり薄れているんじゃないかとも思います。いつも書き連ねていますが、自分のなかに良い意味での「諦観」が生まれているからです。
またぞろお釈迦様の話になりますが(笑)、でもお釈迦様エピは、断酒という事象を語るにあたって非常に都合がいいのです。
お釈迦様は物事に固執するから苦しみが生まれる、と考えました。その苦しみとは、いわゆる四苦八苦ですね。そしてお釈迦様は執着心を捨てることにより、それから逃れたのです。仏教の教えを超絶大雑把に言えば。
で、四苦八苦のひとつに「別離」の苦しみがあります。酒を介した友人関係がなくなるというのも、「別離」の苦しみのひとつかもしれません。でも断酒という「悟り」によってそうした四苦八苦から逃れた人間にとっては、それはまったく苦しくないとは言いませんけれども、でも業火で身を焼くほどのことかと言えば、当然ながらそんなこともない。
酒をやめることによって生まれた苦は、酒をやめることで救われる、と。おおげさかつエラソーに言えば、そういうことになりますかね(笑)。
これがいいのかどうかということはわかりません。そしてこのことをブログに書くということも、わりと以前から考えていたのですが、ためらっていました。
ただ、書くことによって自分の頭のなかが整理された実感はあります。まあ、それが断酒ブログのいいところでしょうし、断酒を始める皆さんには、ブログも一緒に始めることをお薦めする所以でもあります。
と、なんだかとりとめのない結論になってしまいましたが、断酒するとよい意味でのあきらめの気持ちができ、それが人生を楽にさせる、四苦八苦からの離脱のポイントになる。それを象徴しているのが、かつての飲み友との別離なのかもしれません。