人生をルーティン化することが最大の自衛力になるという話。

酒やめて、3225日

飲酒習慣があると、振れ幅の大きな人生になる!?

一つ前のエントリで、「断酒が続けられるのは、幸せな証拠だと考えれば良いのだ」といったことを書かせていただきましたが、ちょっと言いきれてない思いがあるので深掘りさせていただきます。とはいえ、今回も抽象的な話になりそうで申し訳ないのですが。

先のエントリに記したHALTもそうですが、酒さんというところの者は、要は起伏の激しい人生とともにあるわけですよ。「もう〇〇だから、酒でも飲むかあああ!」になりがちで、その象徴がHALTですね。その一方で「朋遠方より来たる、また楽しからずや」で酒でも飲もうといった側面もあります。

そのような負の側面にせよ正の側面にせよ、振れ幅の大きい人生――このブログでは「イベンタブル」と勝手に規定させていただいておりますが――と相性がいいのです。逆に言えば、酒を飲む習慣があると、そういう人生になりがちです。

では、「イベンタブル」の逆は何かというと「コンフォータブル」です。起伏の少ない人生というふうに規定することもできます。

でもって、人生の、それこそいろんな「イベント」(子育てやマイホーム購入など)が済み低収入=ミニマムで生きられるようになれば、コンフォータブルな状況に近づけていくことができます。その局面で酒という存在が非常に邪魔になるということを、このブログでは度々訴えてきました。

酒さんと中国の脅威は似ている!?

そして、そのようなコンフォータブルな人生、すなわち酒から逃れられる人生を送るために必要なことがあるなあと考えるのです。

それは、やっぱりルーティンなのではないかと。日常ひいては人生において、決まったことを決まったようにする。そうすると最初は嫌でも、だんだん嫌でなくなるというふうに人間の脳はできているらしいのです。満員の通勤電車に乗ることなどはいつまで経っても嫌なものかもしれませんが、ただ、慣れはする。この最悪な例が、戦争状態にある人間は殺戮をなんとも思わなくなることで、その狂気は映画などでもさんざん描かれてきました。

極端な例を挙げましたが、たとえば掃除などの家事にしても、もちろん筋トレなどのトレーニングにしても、ルーティン化すればそれはまったく苦痛ではなく、脳汁噴出行為になってくれます。

そのようなルーティンで日常を埋めていけば、それを実践することが最優先になるので、イベンタブルな要素を意識してあるいは無意識のうちに排除していくことができます。

そのことを、アル中→断酒大先輩の小田嶋隆さんの本(『上を向いてアルコール』)では「生活を意識的に組み替えること」と表現しています(参考「「インテリだから酒やめられる」@小田嶋隆氏の主治医←なかなかツボな理屈」)。

そうした方向に生活が変貌すると、酒さんの近づく要素がだんだんなくなってくるのです。つまり自衛力が高い人生になると考えるのであります。

今、高市首相の発言(というよりも、誘導尋問されたのだから「答弁」ですよね)について、高市は戦争を仕掛けたーみたいなことをいわゆる進歩的文化人が叫んでおりますが、それは進歩的文化人超得意のレトリックであって、戦争の最大の抑止力は、当然ながら日米同盟を含む強力な自衛力でしょう。あいつに手を出したらやべと思わせることですよね。

とまあ、そんなことを断酒ブログで主張するのもナンではありますが、ただ実はコトは似ていて、酒という中国にも似た脅威から身を守るために、人生の振れ幅を少なくするルーティンが最大の自衛であるということを言いたいのでございました。

そして、戦争したくないから中国を刺激しないでおこうというのは、再飲酒しないしたくないから酒と当たらず触らず仲良くしておこうというのと同じくらい、不毛な行為であると勝手ながら思っております。

原則として火曜日と金曜日の19時に更新しています。

カテゴリ別インデックスページはこちらです。

にほんブログ村 酒ブログ 禁酒・断酒へ
にほんブログ村

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする