断酒は意志の力で行うものでは断じてない。しかし飲んでいる人を「ま~だ酒飲んでるの」と見下すのは断酒者の自由意志です。

酒やめて、1668日。

病院に行くには、トラウマがあったのだ

私は断酒1000日を期してブログを始めたのですが、しばらくしてTwitterで更新告知するようにしました。そうすると、Twitter上で断酒仲間(と勝手に私が認知させていただいている方々)もやがてできてきます。そして、意志が弱くてスリップしてしまったみたいなツイートも目にするようになりました。その点について気になるので、先輩面(?)して大変申し訳ないのですが、少し書かせていただきたいと思います。

まず断酒界隈では、断酒は意志の力で行うものではない、ということが半ば常識化していますよね。では、どういうふうに行うのかといえば、科学的手段として「病院」「自助会」「薬」が三大要素に挙げられています。

むろん、こうしたことは非常に効果的だと思います。私も断酒するにあたってアルコール依存症外来に行ってみようとは考えました。ただ、ですね、ちょっと怖い部分はありましたね。そのまま入院させられたらどうしよう、とか、そういうことです。

なにしろ私が断酒友からここいいんじゃないとレコメンドされた病院は、私が子どもの頃、親や先生に、何かあるごとに「〇〇病院に連れていくよ~!」と言われていた、まさにその〇〇病院だったので、やっぱりトラウマのようなものがありました(今、先生がそんなこと言ったら大変ですが、ま、そういう時代だったんですな)。

要するにぐずぐずしているうちにそういう科学的な療法を受ける機会がなくなって、断酒がなんとか軌道に乗ったというかたちです。

では、先にあげた三要素の代わりに何を利用したかというと、当然、ネットです。

私の場合、先に触れたTwitter上で断酒仲間認定させていただいている方々は要は「自助会」メンバーだと思っていますし、またたとえば断酒友はアメブロでブログをやっていて、アメブロはコミュニティ機能が強いのでブログ仲間が自助会メンバーになるという側面も当然あるでしょう。

もちろん断酒ブログもよく読みました。その中で、自分にとって都合の良いことだけを自分のものにするというメソッド(?)はなかなか有効だったと思います。これは、意志というよりも思い込みですね。

酒やめて生まれるベネフィットを確認するのが断酒プロセス!

その良いこととは何かというと、いわゆる「ベネフィット」てやつです。「利益」と言ってしまうとあまりにも品がないし、「福音」というほどいいもんじゃないので、やはり「ベネフィット」というのが合っているかと。

自分の人生にとって、断酒してそのベネフィットがあるや否か、ということを確認するのが断酒のプロセスだと思います。実は憚りながらこのブログも、そのような観点で書いているつもりです(汗)。

ではどのようにしてベネフィットが生まれるかといえば、いつも書いていて恐縮ですが、酒やめると時間とお金とエネルギーが湧いてきますので、それを使って何かをする、その何かの積み重ねです。それが人生をいい方向に変えてくれる、それが人生にとってのベネフィットということですね。パターンは断酒者の数だけあるといっていいと思いますが、ただ、この法則はすべての断酒者に当てはまると断言しておきます。

そうしたベネフィットを実感することが大前提です。

この先はいわば「細目」で、そしてここで私の性格の悪さがもたげてきてアレだけれども、いまだに飲んでいる人を見下げることも有効(?)です。

いや実際、このブログでもさんざん触れていますが、人類は「飲まない種族」と「飲む種族」に分化していると思いますよ。社会構造の変化とともに、酒飲んでいるとなかなか上手くいかなくなっているのは事実でしょうし、そのなかでいち早く環境に適合した進化した人類が断酒者と言ってもいいと思っています。まあ断酒者独善の、鼻持ちならない定義かもしれませんが、どーせ飲酒者は読んでないんだから、いいとします。

実は鼻持ちならないのはさらにその先で、論の帰結として、まだ飲んでいる人は、進化していない人類ということになりますよね。我々がホモサピエンスだとしたら、彼らはネアンデルタールであり、「あーまだネアンデルタールが飲んでいるよ」と見下しておけばいいんですよ。もちろん口に出しませんけど、心の中で思うのは、それこそ自由意志ですからねー。

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