論理的思考の時代と酒は相性が悪い!?

酒やめて、1022日。

盲剣楼奇譚

https://books.bunshun.jp/

島田荘司の新刊『盲剣楼奇譚』を読みました。私は島田荘司先生の大ファンです。ファンだから言うわけじゃないですが、ミステリ小説におけるトリックなどもう出尽くしたんじゃないかというこの時代、新手のトリック、しかも物理トリックを呈示してくるのですから、やはりキングオブミステリだけのことはありますねー。さすがです。

時代の変化に気づかずにいる悲劇

さてその『盲剣楼奇譚』で、主人公であるところの剣客・鮎之進が他流試合と仕官を求めて道場にやってくるシーンがあり、こんな会話が交わされます。

「おまえ、算盤ができるか?」

道場主は笑いをおさめ、訊いた。

「いや」

鮎之進は首を横に振った。

「天下の商いの術などを心得るか?」

「そんなものは知らん」

「城の縄張りの図面でも引けるか?」

「何のことだそれは」

「うまい屏風絵でも描けるか? それなら口をきいてやらんでもない」

「自分は剣客だ。絵描きではない」

時代設定は江戸時代です。戦国の乱世で武力がものを言う時代は終わってしまったというわけです。もう剣の時代ではない。算術の時代だ、と。宮本武蔵も、実はこのことに大変苦しめられたらしいですね。遅れてきた剣客だったわけです。

そして唐突ですが、今、同じようなことが起きつつあると思うわけですよ。

以前にも書きましたが、人類、とくに若者は二種類に分化しつつあります。大学に行くにしても、そこで自分が世界や社会に何が貢献できるかを考え、そのために学ぼうという人と、合格すれば目一杯遊ぼうという人です。後者のタイプの典型が我々の世代です(笑)。

で、大学入試改革をはじめとした国の教育施策はなんだかんだ批判されますが、前者のようなタイプを育てようとしているわけです。ですから、ガールズバー通いのエロ元次官やそれを「貧困調査」などと擁護する新聞(だいたい新聞って官僚大嫌いなはずなのに)がいくらチャチャを入れたところで、もう大きな流れは変えられないのです。

ちょうど、信長が寺社利権を廃除して自由な往来や商売ができる新しい世の中を呈示し、これは信長が死んでも大きな流れは変わらず秀吉家康に引き継がれたように(すみません。時代小説を読んだ後なもんで、頭がそっち方面に行っています)。たぶん今は、そういう一大転換期なんだと。

文系人間にも、感性ではなく論理が求められている!

ということで酒との絡みなのですが、実は私、大学受験勉強時代も飲んでました。これは、私立文系の三教科に絞っていたからできたことなんですね。二次関数の問題とか、飲んでたら絶対無理ですから。

逆に文系と酒は相性がよいというか、文系の勉強は酒飲んでも一応はできるんですね。こと暗記に関しては、退屈だからこそ、飲まなきゃやってらねー側面はあった気もしていました(よい受験生は絶対真似しちゃだめだよ)。

でも今は、文系人間にも、感性ではなく論理が求められます。我々などはバブルの時代、感性(笑)なるものが過剰にもてはやされる時代に育ってしまいましたから、今、ICTやなんやかやで文系も論理的思考力だと言われても結構困ってしまうんですよ。

それでもがんばってその手のことを学ぼうと思うと、酒が邪魔になる。酒飲んだ頭、酒で曇った頭で物事を考えるというのは、もう時代遅れなんですね。「感性」に「(笑)」がついちゃう時代だから。

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