飲酒と自己評価の高さは悪しき因縁で結ばれているよね、という話。

酒やめて、2540日

自己評価の高い人間から「ターゲット」にされていたのだった

一昨日、再飲酒について書かせていただきました(参考「【誰にも頼まれてませんけど】「再飲酒」に関する私の考えをまとめておきたいと思います」)。ここで取り上げた「自己評価の高さ」ですが、ちょっと書ききれてない部分もありますので、誰にも頼まれていませんが、そして私の性格の悪さを露呈するようではありますけれども、もう一度触れてみたいと思います。

えーと、再飲酒、継続飲酒に限らず、俺は適正に飲んでいるとか、飲むことに理由――情報を仕入れるとか社交を広げるとか――をつけたがる、そしてそれをアピールする人がいます。加えて、そのことでマウントを取ってきたりします。

私なども、アル中時代はそのマウンティングの絶好のターゲットになっていまして非常に気分が悪かったのですが、だからこそ、そして私の生来の性格の悪さもあって、そのような輩をよく観察します。するとそうした人間は必ず、傲慢ぶりが仕事上など飲酒以外の局面でも現われています。

自分の仕事に対する自己評価が非常に高く、それはそれで悪いことではないのでしょうが、これまたことさらにアピールするのですよ。

ここで「自己評価の高さ」と「自己肯定感」の相関関係を、私なりの解釈を述べておきたいと思います。

断酒していると自己肯定感が高まります。自己肯定感とは、成功体験、この場合断酒ですが、それに基づいた「自分はできる」という確信であり、それは自己の中で醸造されるものです。一方、自己評価の高さは何しろ「評価」なので他者を必要とします。つまり、自分はスゲェということを他者に押し付けてきて、私のような性格の悪い人間ならば、はいはいそうですねーと応えますが、そうでない場合もあり、ご本人にとっては納得できない状態になります。

酒をコントロールできるとな!?

そして先に記したように、人間は飲酒していると自己評価が高くなりがちです。そこには、ちゃんとしたメカニズムがあります。私の観察と分析(?)によればそうです。

俺は酒と上手に付き合っている、飲酒をコントロールしているとアピールしている人間は、自分にも常にそのように言い聞かせている、と。その「言い聞かせ」のようなものが他の局面でも顕われ、俺すげぇという自己評価の高さになる。そしてそれをことさらにアピールして他の者を鼻白ませます。

そうした人間は、自分で飲酒をコントロールできているとゆーけど、実はそのように人格を変化させるのは酒さんの戦略であり、まさに酒にコントロールされているのですよ。

賢者「長年、修行してきたが、いまだかつて酒を最後までコントロールできた人間に出会ったことがないわ。ふふふふ、まだまだわしも修行不足ということか」

というやつですね。

むろんここに、酒による物理的な脳の劣化が加わりますので、実際にできる仕事はレベルが低くなり、自己評価の高さと周囲の本来の評価のギャップにもだえ苦しむ、ということにあいなります。周囲が私のように性格が悪くて「そうですね(ふふふふふ)」と言ってくれる人間ばかりなら、裸の王様になるだけで済みますが。

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