その「めんどくさい」は、酒が引き起こしていたものだったんやあああ!

酒やめて、1532日。

飲酒時代は「へだら」時代だった!?

毎度毎度こればっかりで申し訳ないのですが、酒やめて4年と数か月、しみじみ思うことがあります。その「しみじみ思う」の項目(?)は、あまりにも多岐にわたり、それをいちいちブログに書きとめているので「毎度毎度」になってしまうのですね(自己満足)。

で、そのうちの一つに「めんどくさい」という感情がなくなったことが挙げられます。今は、飲酒時代からは到底信じられないくらいに、何でもサクサクできるのですよ。それも、あーやらなきゃと思って頑張るのではなく、つまり自分に負荷をかけることなく、自然な姿勢と心持ちでできてしまうところが大きいと思います。おそらく酒をやめて、脳内物質分泌の仕方のようなものが変化したのでしょう。そうとしか思えません。医学的なことはわかりませんが、とにかくいろいろやるのが嫌じゃないのですね。

逆に言えば酒を飲んでいた時代は、常に「めんどくせえええ」ベースで生きていました。飲んだときに一時的に脳が活性化することがあっても、それで何かを「成す」というわけでもないし、酒の刺激による脳活性化は、だいいち長続きしません。で、その一時活性化以外のときはといえば、飲んでいるときはもちろん飲んでいないときでも、なんとなくめんどくさいなあやる気が起きないなあという感情に支配されていました。

多摩弁だと思うのですが、「へだらこく」というフレーズ(?)があります。昔、仲間と酒を飲んでいて、あるいは酒を飲んでなくても、何かをしなきゃいけないとき、「あーもうちょっと、へだらぶっここうや」とか言って、すべて先送りにしていたのです。今、調べると「へだらこく」は「くだらないことを言う」といった意味のようですが、我々はちょっと違う使い方をしていました。ただ、なにしろ「だら」という言葉が入っているので、「だらだらする」という状況にぴったりだったのです。

そこから考えると、その時点から数十年という歳を重ねているというのに、「めんどくさい」がなくなったのは大きな変化だと思いますね。人間の本質は怠惰ではなく勤勉であり、怠惰は酒によって引き起こされていたんやあああーという気さえしてしまいます。

酒によって引き起こされた「めんどくさい」を酒で振り払う!?

これは偏見かもしれませんが、なんだかえらく「へだら」好きそうなイタリア人などは、常にワインを飲んでいる印象があります。生水が飲めないので、水代わりにワインなどを薄めて飲んできた民族は、勤勉ではなく快楽主義になっていったのかもしれません。そしてそうした指向を振り払うために、ジンなどのスピリッツで気付けしてきたのかも、とも思います(参考「「ジン横丁」に描かれた18世紀のイギリスに、今の日本があまりにも似てきていてヤバいんじゃないかという件」)。

それは大げさにせよ、とにかく酒やめてめんどくさいという感情が消えた……とまでは言いませんが、自分の生活や人生の中からほとんどなくなって、繰り返しますが「じゃあやろうか」と気合を入れなくても、ましてや気付けのための酒を飲まなくてもできるようになったのはとても大きいのです。

で、ここまで書いてきて感じたのですが、やっぱり酒は意志を持っています。酒を常飲していると、脳が「めんどくさい」ベースになります。そして、なにかをしなければならない、気合を入れなければならないときに、「めんどくさい」を打ち払うために酒を必要とする。まさに悪質なマッチポンプです(参考「アルコールとトキソプラズマの「支配」は同じだという件」)。

酒によって引き起こされた「へだら」を、酒によって振り払うという悪循環が、人類の歴史を支配してきた、というふうにも言えるのかもしれません。そしてそれに決別するときを、人類は迎えているのかもしれません(大げさ?)。

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