酒やめて、1296日。
説教ドーパミンの存在が明らかに!
またぞろ嫌あ~な記事を見つけてしまいました。といってももうずいぶん前のものですね。これです。
要は、説教するときにはドーパミンが出る、だから必ずしも相手のことを考えて、ではなく、てめえが気持ちよくなるために説教するやつもいる、えてしてそういうもんだ、いうことです(私が記事内容を勝手に意訳)。
これに似たことーー他者を攻撃するときに脳内快楽物質が出るといったことは、脳科学者の中野信子さんも自著で述べていますね。そしてこのことは、いじめ、さらに戦争にも通じるので、今後クローズアップされてくるのではないでしょうか。
まあしかしよくいますよ、「自分で考えてみろ、それがお前を成長させるキリッ」とか、「あーそんなことまで教えなきゃなんねーのかよーキリッ」とか言ってるヤツ。こいつらは、自分が気持ちよくなるためにやってたわけですね(もちろん、純粋に教育のためにやっていた人もいるでしょうが、新人教育はきちんと方法論を示すのが鉄則なので、自分で考えてみろはやっぱりNGでしょ)。そういうことがだんだん脳科学的にも明らかになっているのが現状のようです。
説教するなら金払え!
ただ、昔の上司は自腹で飲食をおごって部下に説教していました。あるいは会社の金を使って、ゴチ&説教してくれていました。会社の金といっても、社内飲食は経理を通すのが難しいですから、それなりにリスクを取っています。あるいはその程度は許されるだけの仕事をしているからという裏づけがあったはずです。
でも今の「目上」の連中は、割り勘の飲み会で説教しますからねー。クソですわ。
ここで元アル中、現断酒者としての独自理論を展開させていただくと、何の自己負担もせずに人に説教するのは絶対悪です。必ず自分も自腹を切るなど痛い目(?)に遭いながらやるのがセオリーですよ。
いや、これは説教に限りませんね。自分語りするのは、相手からすれば「聞いてあげる」というサービスです。サービスには対価が発生します。
たとえば、孫がじいちゃんの話を聞いてあげるのは小遣いをもらえるからです。実社会もそれと同じだと思います。
「聞いてあげる」のは、客だから、仕事がもらえるから、というケースはあるでしょう。しかし社内で何の仕事も発生しないのにもかかわらず、「目上」の自分語りを聞かなきゃいけないのはかなり理不尽な部類に入ります。というよりも、もうハラスメントです。ここのところを取り違えてるジジイ世代があまりにも多いです。
で、冒頭に書いた説教ドーパミンのことがだんだん明らかになってくると、こうしたことが社会的にNGという流れになるのではないでしょうか。
そして酒を飲んでるとこういうことをやってしまいがちです。ハラスメント認定も当然予想されますし、またそこまでいかなくても、どんどん自分の評価を下げてしまうでしょう。前からそうだったけど、その「評価」がおおっぴらにできる世の中に突入しています。
やっぱり酒と説教は悪縁で結ばれていて(参考「説教と酒は、悪縁でつながっているから!」)、その悪縁が自分自身を社会的に貶めていく、そんな社会になっているのですね。
酒やめるに越したことはないです(笑)