「酒」ではなく「飲み会」にアディクトしている人々。それもまたアル中の一局面ですよ!

酒やめて、1047日。

飲み会で乾杯

通常アル中というと、飲酒量が多いというイメージがあります。まあ、そらそうです。とにかくひたすら飲んでしまうわけです。飲むのがただひとつの目的で、飲んでさえいればそれでいい。それが一般的に描かれるアル中、あるいはアルコール依存症の姿だと思います。

ひとりで、外で飲んでいたい

私などはまさにこのタイプでした。ですからその末期(?)になると、もう飲み会に行くなんてのもめんどくさいんです。他人と会話するぐらいだったら、ものも言わず飲んでいたいという悟りの境地(?)に達していたわけですよ。

ただ環境は大事ですから、初夏の夕方などに、風が抜けていく外飲み立ち飲み屋で飲む、みたいなことはとても好きでした。

誰と話すわけでもないけれども、やっぱり外で飲むのはいいものです。家の中だとなんとなく気が滅入って、自分がホンモノのアル中になったような気がしてしまうのです(ホンモノのアル中ですが)。外で飲むのは最後の歯止め、のような思いもありました。

一方、世の中には、誰かと一緒のときだけ、外で酒を飲む人がいるんですね。そのなかには付き合いでしかたなく、という人も入っているかもしれません。女性にはそういうタイプも多いでしょう。

金がないのに飲み会に参加する心理とは?

で、ですね、こうしたタイプのなかにもアル中者はいます。と、少なくとも私は思います。

私の知り合いにも、いわゆる「飲み会」でしか飲まない人がいます。そして適切な量しか飲みません。家では一切飲まないそうです。でも問題があります。ときとしてお金をろくに払わないことです。「飲み会」ですので割り勘にしてしまえば、それは一部の人にしか気づかれない。周りも大人なので、なあなあになってしまいがちです。

ここまで聞いて皆さん、不思議に思いませんか。お金がないのならそういう飲み会に行かなければいいじゃない。そして、どうしても飲みたいときは、家だったら今やとても安く飲めるから家で飲めばいい――。

しかし違うのですね。彼にとっては飲み会に参加することに意義があるのです。そこで何らかのコミュニケーションをして承認されることが大事なのです。だからお金がなくても飲み会には参加したい。自分のポジションを確認したい。そして酔って好き放題言いたい。後輩に説教のひとつでもしてみたい。まあ迷惑な話ではあります。

こういうタイプは酒そのものにアディクトしてるんじゃなくて、酒のあるコミュニケーションにアディクトしてるわけですよ。これも、立派なアル中だと思うのです。金はないけど飲み会に行きたいと考える自体、それはオルタナティヴなアル中です。

アルコール依存は、「アルコールが好き」よりもむしろ「依存体質」が問題なんだなと思いますねー。

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