不道徳を糾弾することが、コロナによって国民行事になりつつある今、飲酒ってどうなのよという話。

酒やめて、1392日。

マッチの無期限活動自粛は是なのか否なのか!?

近藤真彦さんが、不倫の責任をとって(?)無期限の活動自粛をするそうです。そしてこのことについて波紋が広がり賛否両論あります。

そのうち「否」の意見としては、そこまでせんでもええやろ不倫は犯罪ではないのだからということ、そして大御所であるマッチがそうしてしまったら後に続く人たちの一つの基準になり、その影響は非常に大きい、というものですよね。

不倫を、たとえば麻薬や飲酒運転などの「犯罪」と同列に並べるのはいかがなものかという考え方は確かにあると思います。それは当事者の問題であり、少なくとも世間に対して謝罪するようなことではない、と。

もちろんこのマッチ問題(?)は、単に「やっちまった」こと以外に、いろんな要因が複雑にからみあっているようですが、活動自粛の背景のひとつに、コロナ以降の「他者に厳しい世の中」ということがあるのも事実ではないでしょうか。

コロナ禍以前から、正義マンと称する、やたら他人にコレクトしたがる輩(≒老害)の弊害が取りざたされていましたが、コロナ以降、そのような傾向が全社会的に広がっているのは確実でしょう。私なんかも、電車に立っていて人が乗ってきたので奥に詰めたら、さらに奥にいた白髪爺にこっちにあんまり寄るなとか言われたことがありますもんね(怒)。マッチもそうした風潮に配慮したのかな、と。

飲酒はコレクトされやすい!?

文化人類学的(?)には、儒教の教えが東アジアのメンタリティを窮屈にしたみたいなことも言われます。他者の不道徳を糺すことによって自分が精神的優位に立とうとするのは、朱子学の優等生である韓国において、朱子学の本家である中国よりも顕著ですが、日本の場合、もともとの規律正しさ好きと、そうした朱子学メンタリティが、コロナによって結びついたと言えるかもしれません。

そして朱子学の影響を受けたこの三国において、コロナが比較的抑え込まれているのも皮肉といえば皮肉です。

で、そういう社会の中で、過度の飲酒というものはわりに不道徳として糾弾されやすく、指摘する人間に自己満足をもたらすものなのかもしれません。これは、元アル中ひがみの類なのかもしれませんが、しかし私の周りにも他人の飲酒癖を指摘することにより精神的に優位を立とうという人間はいましたので、現在の不道徳に厳しい世の中の雰囲気は、コロナ以前から知っていたつもりでいます。

ほんの10年ほど前なら、お酒よる不道徳は許容される雰囲気があったのに、思えば遠くに来たものですよ。飲酒行為自体が地位低下しているところ、それがコロナによる、不道徳糾弾の深化で決定的になりつつある、そんな気もします。タバコだってあっという間に「悪者」になってしまいましたもんねー。

だから、酒やめたほうがいろんな意味でラクだといういつもの結論になってしまうのですが(笑)。

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