「愚者は経験に学ぶ」というけれども、経験だけからのみ学びを得ていたら、人生それで終わってしまうのだという元アル中としての「経験」。

酒やめて、1213日。

痛い目に遭って学ぶというけれども……

「愚者は経験に学ぶ」と言われます。「賢者は歴史に学ぶ」と対比になっている言葉ですね。まあぶっちゃけて意訳すれば、痛い目に遭うまでわからないということでしょうか(笑)。

もちろん私もそうだったのですが、うちの子を見ていてもすごくよくわかります。生き方のスタンスが「パパの言うことを聞いたら負けだと思っているキリッ」ですから、何を言っても馬耳東風です。

で、こっちももう諦めているので、いずれ痛い目に遭ってわかる時が来るだろうとすでに悟りを開いています。

世の親という存在は、子どものことを常に先回りして心配します。そして当然ながら子どもよりも社会経験が豊かですから、あれこれ忠告というか教育というか説教というか、まあそういうことをしますよね。でもそれが、子には入っていかないわけですよ。

ただし、たとえば進路といったようなものすごく大きな世界の話では、経験に学んでいてはもうそれで一生終わってしまいます。ですからここで、親はじめいろんな人の知見を自分のものにするかどうかということが問われるのです。それができる人間は、まあ大体人生上手くいくのでしょう。

ただ今の時代、進路という大きな問題のみならず、人生で学ばなければいけないことがどんどん増えていって、他者の知見を自分のものにする必要性もどんどん大きくなっています。自分だけの経験で対処できる世の中ではなくなっているのですね。でも、愚者にはそれができないのです。

他者の知見を自分の人生に生かす!

私も愚者ぶりでは誰にも負けない自信はありますので、まさに経験だけに学ぶあるいは経験にすら学ばないでここまでやってきて、さんざん痛い目に遭ったクチです。そしてその究極がアル中になったことだと思うのですが、ただそれでもなんとかやって来れたのは、ひとえにもふたえにも「時代」がそれを許してくれたからです。しかし繰り返しますが、これからは違います。

自分で経験して痛い目に遭って、そこで学んで次に生かす、みたいな悠長なことをやってると、それだけで人生終わってしまう時代になっているのですね。個人が知見を得なければいけないことの大きさと、個人が経験できる範囲が乖離していると言ってもいいかもしれません。

ですから何度も恐縮ですが、そして一昨日も書いたように他者の知見を自分のものにすることがものすごーく大事であり、その訓練を若いうちにすることもまた必要であるということです(参考「オープンイノベーションマインドと飲酒習慣は、もしかしたら対極の位置にあるのかもしれない」)。

他者の知見というのは、たとえば「断酒」に関しても、今は断酒ブログはじめ酒のやめ方のノウハウが世の中に溢れていますし、はばかりながらこのブログも、ささやかながらその一つです(笑)。このような愚者の経験に基づく知見を、自分のものにするかということで人生決まるような気もします。

これは別にブログの宣伝してるのではなく、それこそ私が経験から学んだことだからです。

ちょっとでもいいと思ったら、とりあえず他者の知見に耳を傾けてみるという姿勢を若い頃から身に付けておくと、本当に人生変わってくると思いますよ。若いうちからそれができる人が羨ましいですよ。その対極の人生を生きた(生きてしまった)者として心からそう思います。

Listen what man said ですね(笑)。

にほんブログ村 酒ブログ 禁酒・断酒へ
にほんブログ村

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする