格差大好きメディアが、「飲酒格差」を取り上げないのはなぜか。

酒やめて、2380日

メディアは格差格差ゆーとりますが……

もう何年も前からのことで、今さら言うまでもないことですが、メディアは「格差」をコンテンツ化しようと画策しております。格差ゆーときゃ受けるやろーてなものです。が、単に「本を売りたい」「視聴率を取りたい」とかそういうことだけでなく、もっと深い闇(?)があるようにも感じますので、考察というか糾弾してみたいと思います。

むろん今、日本は格差社会というか、それを越えてもはや階級社会なのでしょう。私のように、その格差、階級の下のほうにいる人間にはよくわかります。

ちなみに個人的には、酒やめて「最底辺」は脱したのではないかと勝手に考えています。そして私が規定するところの最底辺は「たかり酒」をする人です。このあたりのことは以前も書いていて、そういう人の存在が反面教師となり、断酒を続けるモチベーションになっている側面もあります(参考「反面教師の存在が、断酒と断酒継続にかなりのインパクトを持つという話」)。

ただ、格差あるいは階級というのは農耕が始まって以来、人類の歴史とともにあって、高度経済成長期からバブル期前までの日本における「一億総中流」というのは、人類史上、最初にして最後の奇跡だったのかもしれません。

格差による扇動(?)は、オールドメディアの伝統的な戦略ですよ

で、言いたいのはその「一億総中流」だった頃の常識で飲酒を考えてはいかんということです。なにしろ格差の世の中なのだから。少なくとも私はそのように思い酒をやめたわけです。飲んで良いのは飲んで良い状況にある人だけであり、私は飲んじゃいかん状況にあるから飲まないのだと。

そして本来であればメディアなども、あれだけ格差が大好きなのだから、この「飲酒格差」についても取り上げるべきですよね。

たとえば、「給料が上がらないので酒をやめましたトホホ」みたいな人にフォーカスを当てても良いと思いますし、私もこのパターンに含まれます。そしてそうしたらどうなるかということを考えてみると、これはなかなか興味深いです。

このテーマ(?)については、生活保護の人を取り上げた場合(こちらは好んで取り上げられます)を「補助線」にしてみるとわかりやすいかと思います。

一時、「生活保護減額で果物も買えない」と主張する人をメディアが積極的に取り上げたことがありました。そうしたことで今の日本がディストピアだ(だから日本はダメなんだ!)をことさらにアピールしたかったのでしょうし、さらには生活保護の人をいわば生贄にして世論を煽り、視聴率アップなどを図りたいというあざとい意図も当然ながらあったでしょう。

それに対する世間の反応は、メディアのあざとい意図通り「(生活保護じゃない)俺だって果物なんてもう何年も買ってないよー」でした。で、その伝でいくと「給料安くて酒飲めません」という人を取り上げた場合も同様の反応が期待(?)され、いわゆる炎上商法が成立するはずです。なのにやらないのですね。

むしろメディアは、そう、ちょうど一億総中流時代とまったく同じように、酒を飲むのは当たり前、もっと言えば、すべての人は酒の前に平等だと主張しているかのようです。常日頃、格差格差ゆーとるのに!

むろんこれは酒造会社あるいは財務省などにに忖度しているのでしょうけど、もっと構造的な考察(?)をすれば、いまだに一億総中流時代の幻想をつくり出し、それをもってして消費を促しているわけですよ。

それは、一億総中流意識というものを前提とした「ちよっとした差別化」のための消費を煽ることが、民放と大手広告代理店が昭和30年代からこっちずーっとやってきて成功してきたビジネスモデルだからですね。

そしてその残滓が一番根強く残っているのが酒である、と。だから断酒erはそこからも抜け出しているのだからチートだと身勝手にも考える次第でありますよ。

でもって冒頭にあげた「格差」ですが、(オールド)メディアは格差格差ゆーとるけど、その格差というものの取り上げ方が、一億総中流を前提としたちょっとした差を煽ることと手法が同じなのですね。

ま、そんなメディアの煽りから自由でいられるのも、断酒er特権なのですが。

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