飲みたくて衝動的に飲むのではない。飲むための理論構築をするようになるのから怖いのだ。

酒やめて、1305日。

引率の夜、酒はNGであることは自明だけれども……

少し前ですが、こんなニュースがありました。毎日更新をやめるとなかなか時事問題についていけませんな(笑)。

大分の高校教諭が部活合宿で飲酒、生徒の布団に放尿 剣道部顧問

剣道部顧問の先生が合宿先で酒を飲んで、たぶん泥酔して生徒の部屋で放尿してしまったという衝撃の事件です(タイトルそのままですが)。

いや、しかしこれ、マジで身につまされます。私のアル中時代の飲み友には、自宅ではありますが、同じことをやった人間がいるからです。私自身もいつやらかしてもおかしくないと常々思っていました。

このニュースは、確かに「酔って放尿」がキャッチ―(?)だけれども、キモはそれではなく、勤務時間外であるところの合宿の夜、引率の先生が飲んでいいのかいかんのか、ということでしょう。今の常識からすれば当然NGですよね。

先生と酒といえば、私も非常に印象深い思い出を有しています。昔、担任の先生が、学校で酒を飲んでクビになったのです(参考「遠い昔、酒で教壇を去った先生のこと」)。

リンクした記事にも書きましたが、その先生に引率されて山に登り、テントに一泊したこともあります。果たして先生は夜、飲んでいたのか飲んでなかったのか、今もときどき考えてしまいます。

繰り返しますが、引率で飲むのは今の常識では絶対にNGです。夜何が起こるか分からず、先生が飲んでいては対処できないからです。当然ながら。

でもねー、飲みたくなるんですよ、引率者としては。昼間のプレッシャーが大きい分だけ余計に、だと思います。私も、非常に辛かった経験もあります。

飲酒時代、保護者としてキャンプ引率のお手伝いをしたことがあるのですが、事前に「これってさあ、夜、やっぱ飲んじゃいかんのやろうね? 」と訊いたら「当たり前でしょ!」とピシャリと言われ、だから嫌々行きました(保護者失格)。で、やっぱり夜は辛かったですねー。飲酒時代の、飲んでない数少ない夜のひとつだったと思います。

アル中やアルコール依存症でなくても、酒を飲む習慣があると、そういうふうに、どんな状況であっても飲みたい気持ちと闘わなければならないわけですよ。

飲んでないときも、独善理論を構築するようになってしまう

そして怖いことに、冒頭にリンクした記事の先生や、あるいは私の昔の担任の先生のように、たとえ「先生」と呼ばれるような人でも、「普通に考えて」という判断ができなくなってしまうのですね。

普通に考えて、引率の夜に飲むのはNGです。でも、酒飲みたい衝動に駆られて飲んでしまう……、と、普通の人は思うでしょう。でもちょっと違うのですねー。威張って言うことじゃないですけど。

これも普通の人にはどうでもいいことだし、知る必要もないことだけれども、あえて説明させていただければ、「衝動的に」ではなく、一応の理論構築はするんですよ。絶体絶命的に飲んではいけない状況のなかでも「飲んでもいい理論」を。

当然、この「理論」は、中国政府も真っ青の俺様理論なのですが、当人はその理論の熱狂的な信奉者になったあげく、飲んでもいいのボタンを押してしまいます。なんだか、中国のミサイルのボタンと似ています。

で、さらに怖いことに、これもいつも述べていて恐縮ですが、その独善理論を、飲んでないときも構築するようになってしまうのです。ここに加齢という要素が加わるとなおさらです。考え方自体が独善的で周りを見なくなってしまうのですね。中国のように。そして暴走してしまうこともある、ということです。剣道部顧問のように。

ともあれ次は、中国の脅威呼び込み政権になりませんように!

にほんブログ村 酒ブログ 禁酒・断酒へ
にほんブログ村

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする