酒やめて、2130日。
代表戦に入れあげなくなったのだった
いやいやいやいや、サッカー日本代表、またしてもやってくれましたねー。
スペイン戦が終わったとき、もし今、飲酒習慣があったら、とやっぱり考えてしまいました。時間帯からして当然ながらすでに泥酔状態であり、そして、それから数日間、日本代表とともに夢うつつの日々を過ごし、気持ちよ~く廃人になっていたでしょう。
さて、私がTwitter上で勝手に断酒仲間認定させていただいているノンアル教教祖「ダメリーマン斉藤」さんが、スペイン戦の前、コスタリカ戦の後に以下のようにツイートしていました。
「ダメリーマン斉藤」さんが言いたかったのは後半部分でしょうが、私はこの前半部分、ほんとこれ、よくわかるんですよ。期待していたからがっくりくる。
むろんネトウヨで日本大好きなことでは人後に落ちない私であり、日本代表の試合結果に一喜一憂はしているし、決勝トーナメント進出はマジ嬉しいのですが、しかし、飲酒時代ほどには思い入れはないのですね。今回のワールドカップに関しては酒やめて2回目となり、前回のことはよく覚えていませんが、ただ酒飲んでいた時代とは違っているようにも思います。
今回はABEMAさんのおかげで全試合観ることができていますけれども(暇)、日本が関係していない試合でも非常に楽しめてしまいます。一つには、日本対ドイツ戦における本田圭祐さんの解説で、サッカーの観方というか戦術について大いに啓発されたという部分があります。今まで数十年間接してきた、サッカージャーナリズムの「戦術論」はいったい何だったのか、という気も同時にしますが(苦笑)。
それはともかく、それほど入れ込むことがなくなった。なぜだかわからないけれども、酒やめると、諦観ベースで生きることができるようになり、他者にまったく期待しなくなります(これは、セルフエスティームアップの裏返しであると思われます)ので、それが日本代表に対しても、ということでしょう。この辺は斉藤さんも同じだと思われます。
一方、イギリスの事情などはよく知りませんが、たとえばアーセナルやウェストハムに極度に入れ込んでいるロンドンのおっさんたちはアル中的傾向があるようにも思われます。偏見かもしれませんが。
そうだとすれば、要するに自分の贔屓のチームに入れあげることと、酒しか楽しみがないわけですよね。
酒とともにある「入れ込み」人生ってどうなのよ?
つまり「パンとサーカス」を地で行っているわけです。為政者にとっては非常に都合のいい人なのかもしれません。そしてそうした生き方でも、これまではよかった。ただし、今はなかなかそういう生き方は難しくなっています。
日本でも、「ひいきのチームが負けると機嫌が悪くなるお父さん」というのは、明らかにアウトオブデイトですよね。
そう。もうそんなふうに「他者」に自分の人生を重ね、それでカタルシスを得るという生き方は、人生設計的にも社会通念的にも許されなくなっています。すでに老後を迎えている人、いわゆる逃げ切り世代と呼ばれる世代はそれでもいいかもしれないけれども、これから老後を迎える人はそうはいかない。
そして、そういう「入れ込み」人生はロンドンのじいさんたちがそうであるように酒と共にあり……というと言いすぎかもしれませんが、酒と親和性が高い。それが為政者にも都合がよかったため、それこそローマの昔から、人類はそうした生き方をしてきた(「入れ込み」対象が宗教であるケースもあった、あるいはあるでしょう)。が、そうした生き方が一つの転換点を迎えていると、断酒者的には勝手に考えております。
いつも書いていて恐縮ですが、自分軸で生きなきゃいけない時代に、何かに過剰に入れ込みそれとともに酒があるのは明らかにヤバい、自分の将来を毀損してしまう。そして断酒者はそういう生き方をすでに脱していると勝手に考えていますが何か。
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