「酒飲まずに自己裁量の時間を持つ」ことの意味が、昔と今じゃずいぶん変わってきてるよね、という話。

酒やめて、2034日。

昔も「酒飲むなんて時間がもったいない」という若者はいたのだった!

一昨日、「“若者のお酒離れ”に若者たちが本音回答「おじさんもフラペチーノ飲まないでしょ?」という記事を引用し、若者が「飲みすぎて何もできない状態になるのは、時間がもったいないと思ってしまうんです」であり、まじリスペクトですわーということを書かせていただきました。

ただ私の若い頃、会社員時代にもそういう人間はいるにはいました。なんで飲み会出なきゃいけないんですか、それって自分の時間がなくなるってことじゃないですかあ、だったら残業代くれなきゃヘンですよ、と言ってくる剛の者の後輩も確かに存在していました。

80年代という当時の世相でそんなことを言えるのはまさに大物なのですが、確か取引先の御曹司だったと思います。まあ今考えれば、彼のほうが当たり前なんですけどね。

また、出張の新幹線のなかでビールを飲もうとしたら、え、酒飲むんですか! とエイリアンを見るような目で見てきたインド帰りのカメラマンもいました。

ともあれ、そんなふうに当時から、酒を「人生の外」に置いていた人間もいたわけですよ。そういう人は当然ながら、酒を飲んでなくなる時間を有効活用していたのでしょう。

「自己裁量の時間を持つ」ことの現代的な意義とは

ただ、有効に使うということにおいて、当時80年代と今とではちょっと違うと思うのです。80年代は「有効に使う」といっても使い方は限られていた。しかし今は、自分の時間を使って勉強したり発信したりすることが、変貌する社会構造の中で大きな意味を持つようになっています。

逆に言えば、私などもそうであるからこそ酒をやめられたわけで。酒飲んで時間を無駄にしてる場合じゃないとせつに思ったのです。

酒を飲まずに自己裁量の時間を確保することの意味が、昔と今では大きく違い、それが人生にもたらす影響も大きく違っているということですよね。自己裁量の時間が、将来の布石になり、お金を生むといったらいいのでしょうか。むろん、いつも書いているように、そうせざるを得ない社会構造ではあります。

そしてそれに気づいているのが現代の若者の一部、ということになるのではないでしょうか。

若いうちから酒を飲まず、あるいは機会飲酒に限り、自分の時間をできるだけ多く持ち、そこで何事かを考え何事かを成すことの意義は、何度もすみませんが、どんどん大きくなっているし、そうせざるを得ない。若いうちからこれを意識すれば、人生も大きく違ってくるということですよね。

我々の世代において酒飲んでいる人間と飲んでいない人間の差はあったことは間違いないでしょうけど、ただそれは、老後はともかく現役時代はあまり顕在化しなかったと言えるかもしれない。ただ、今は、それをするかしないかで、ものすごーく大きな差になるということですよね。

それをわかってる若者が酒飲まないわけですわ。

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