「追い詰められてやる」と酒さんは非常に親和性が高いから危険だよねという話。

酒やめて、2132日。

「追い詰められてできた」、その成功体験がヤバい

私事ながら、仕事は相変わらず暇であり、なおかつ私にとっての最大の暇つぶしであるサーフィンも禁止、だからバイトでもしたいのですが、中高年バイトの定番・スーパーの品出しなどで重いものを持ったりするのも禁止なので、まあ時間があり余っています。

なので、年賀状なども含めて、いろんなことを前倒しでどんどんやってしまっています。繰り返しますが、やることがないからです。仕事も暇で遊びもダメだとなるとそうなりますよね。でもって日常タスクの類でもやっているうちに多少は脳汁が出てくれることは、断酒後の経験上明らかなので、やれることはやっておこうというモチベーションになったりもします。

そう考えると、ある種の感慨にとらわれてしまいますよ。夏休みの宿題を7月中におおかた終わらせつつある、みたい感じですよわ。逆に言えば、酒を飲んでた時代は……というか、これまでの人生の大半は、いつも夏休みの8月29・30・31日のような気分で過ごしてきました。もっとも最近は夏休み短縮なので、「8月31日の焦燥」も過去のものになりつつあるようですが。

また「ギリギリになって力を出すタイプ」とは、よく言われるところですし、私も自分で自分のことをそう思っておりました。ギリギリまで自分を追い詰めて、そこで火事場の馬鹿力でやってしまう、ということですよね。

ただしこのメソッド(?)には、たとえば宿題や仕事などが短時間に奇跡的にできてしまったような成功体験が一度でもあると、他の多数の失敗体験を忘れてしまうという罠があります。しかもその成功体験は、多くの場合、若いうちに達成していて、それは若さゆえのエネルギーもあった、ということなのでしょう。

にもかかわらず、そのようなやり方が身に付いてしまうと、何度もチャレンジする。そして当然のように上手くいかない。むろん加齢とともに、その傾向は強くなり、でもって、ここからは人によって違うのでしょうが、思いつくのが酒ということになったりします。

「酒飲んでできた」、その成功体験はさらにヤバい

なぜ今さらのようにこんなことを書くかというと、中島らも先生の『今夜、すべてのバーで』がkindleアンリミテッドで無料になっていて再読しているからです。文庫本を持っていったと思うけどどこにあるのかわからない。

その『今夜、すべてのバーで』に以下のような印象的な一節があります。

イマジネイションの到来を七転八倒しながら待ち焦がれているとき、アルコールは、援助を申し出る才能あふれる友人のようなふりをして近づいてくる。

まさに、ビートルズいうところの With a Little Help from My Friends ですねー(参考「マッキーの一件でわかった! 酒飲んで何かが降臨するのなら、それは酒イコール危険ドラッグってことですよ」)。

で、主人公の小島容さんは、その友人の手を借りて仕事ができたという、いわば第二の成功体験を経験し、もともとアル中性向だったのが決定的になったりします。

そうなのです。「追い詰められてやる」と酒さんは相性がよすぎるのです。

そしてこれもいつも書いていて恐縮ですが、酒飲んでいるからこそ追い詰められるのに、追い詰められたら酒が欲しくなるという、酒さんの悪質なマッチポンプが完成します。

そうしたなか、断酒という、時間を生み出してくれる、ある種の魔術を手に入れたら、そのマッチポンプから抜け出せるとともに、さらに付加して、酒飲んでいない時代からの「追い詰められてやる」をも克服できるのでありますよ。つまり断酒は、人間を原状復帰ではなく、バージョン2.0にしてくれるものだということを、あらためて確認しておきたいと思います。

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