「動き」が必要なときに、やっぱり酒さんは邪魔だよね。

酒やめて、2882日

「国民の敵」の顔が見えた年でした

いやいやいや、今年も残りわずかとなってしまいました。振り返ってみると、この一年は多くの国民にとっての「敵」が明確になった年だったのではないでしょうか。国全体の仕組みを改革しようとする動きに対して根深い抵抗に遭っている様子がはっきりと浮かび上がったように見えます。

その象徴が「103万円の壁」の撤廃を巡る動きでしょう。これは単にパートやアルバイトの収入を抑えたい人だけでなく、多くのワーカーの手取りを増やす施策、つまり購買力も増え企業も儲かり、結果的に税収も増えるというオールハッピーな施策にもかかわらず、どうやら「骨抜き」になりそうです(怒)。

さらに恐ろしいのは、「国民の味方」を標榜するメディアも、それに対して声を上げていない点です。

たとえば宮沢洋一税務会長という「顔の見える敵」は国民民主党との論議には出て来ず、それで自民党と財務省は彼を守ろうと必死であることがわかりますが、こういうことに真っ先に食いつきそうなメディアはなんの異も唱えません。もう一般人の目に映るすべてのことが、腹が立つを通り越して、奇怪、不気味です。

政府省庁やメディアもそうなら、企業も、例の竹中改革以来「被雇用者とともにある」ではなくなっています。一昨日も「モノプソニー」ということを取り上げましたが、日本の繁栄を築いた日本型の(もともとは、フォード理論だと思われるが)企業と労働者の関係は完全に崩れ去ってしまいました。というか、日本の風土に、むりくり「利益は労働者ではなく株主に還元する」という欧米型手法を持ってきても合わないに決まっているし、それが日本が先進国の中で最低の給与基準になった要因でしょう(日本の労働者は声を上げないので)。

現実に、大企業や公務員を除く多くの組織は、物価高だといって給料が上がっているわけではありませんし、私のようなフリーランスに至ってはむしろ下がる傾向にある。結局のところ、組織に忠誠を誓ったところで報われなくなっている。

とにかく「動く」しかないでしょ

なので、当然のように自分でなんとかするしかない。若い人であれば転職や起業も視野に入るでしょうし、我々のようなジジイ世代はやっぱりミニマムに生きるというよりもミニマムに生きることを楽しむことが重要になる。そして双方に共通するのが、衰退する日本、ワーカーを報わない日本を頼りにせず(見捨てて)繁栄する世界に乗じるための投資でしょう。

しかし、このような「動く力」を鈍らせるのが、ご存じ、酒さんなんですねー。

ここでいう「酒」とは、単なる嗜好品としてのアルコールだけでなく、それがもたらす心理的な影響ももちろん含まれます。飲酒習慣、酒とともにある生活は、いざとなれば飲めばいいという安心感(?)もあって、進むためのエネルギーや行動力を徹底的に奪い、現状に安住させてしまいます。いわゆるゆでガエルになりがちで、本当に自分の経験上からも、周囲の人間を見てもそうです。

実際、私の友人にこんなエピソードがあります。

私と同じフリーランスの彼は一昨年、本業が上手くいかず、一時的にスーパーでバイトしました。それはそれで新しい発見もあり、鮮魚売り場の色っぽい美熟女とお友達になったりで、有意義(?)だったらしいのですが、その際、普段から「俺は適正飲酒者だあ」と自称している知人から「ジタバタしてますな」と冷やかされたそうです。

彼は、酒を飲んで現状をやり過ごすことを選ばず、自分の未来のために「動いた」わけですが、自称適正飲酒者はそれを「ジタバタ」と見たわけです。

逆に言えば、「ジタバタしない」という価値観は、酒の持つ特性と非常に親和性が高い。酒を飲めば一時的に現実の問題を忘れることができ、そして飲んでいる間は「動かなくても良い」という錯覚に陥りやすくなる。その結果、本来必要な「動き」が後回しにされ、気づけば現状にしがみつく選択をしてしまう。

これが酒の怖さというもので、自分が変化しないとならないとき、社会に適合させなければならないときにはなおのこと、酒は遠ざけるにしかず、と考える次第でありますよ。

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