酒やめて、1516日。
さすが徳さん、いいこと言ってるわ!
先日、何気なく読んでいた本に、亡くなられた自動車評論家の徳大寺有恒さんの言葉としてこんなものがありました。
会話や文章でいくら高邁なことをいっても、服装に気を配らないような男を、私は信用しない。「人を外見で判断するな」とよくいうが、外見よりは、その人間の会話や文章の方が当てにならないことは、よくあることなのだから。
徳大寺有恒・沼田亨『自動車を変えた言葉』(河出書房新社)
なるほどねーと思いますよ。私は徳大寺有恒さんを生前、一度お見かけしたことがあります。確か銀座のラルフローレンの店内で、です。小柄な方でしたが、やはりオーラが出ていたのですぐにわかりました。そしてなによりも、まあ本当にぴかぴかの、血膿色といっていい、とても質のよい革を使っていることが一目でわかるローファーを履いていたのが超印象的でした。まずは足元からというわけです。
そういえば徳大寺さんは、専門のクルマについても、タイヤの山が減っているのは危険なのはもちろん、とにかくみっともないという持論をお持ちでした。これは「すり減った靴を履くのがみっともない」と通じるようなところがあると思います。
いや、知り合いの大学生などにもいるんですよ。財布はヴィトンのダミエとか持っているのに、いつも靴底のすり減ったVANSのオールドスクールを履いているやつ。おっちゃんがシューグーで補修したるでと申し出たのですが、変になるからいいと断られてしまいました。
ヘッドライトが黄色く変色したポルシェカイエンなども見かけますけれども、これも同じ出身なんでしょうね、失礼ながら。これまたおっちゃんが万能研磨剤のピカールでピカピカにしたるでピカールは実は金属だけでなくポリエチレンの類にも効くんやでと申し出たいのですが、殴られそうなのでやめておきます。
そんなこんなで靴底ですけれども、私の場合、革靴の靴底を張り替えると結構お金がかかるのでシューグーでやっております。まあそこそこ上手くできます。くだんの大学生は下手になると気にしてるようですが、靴底が減ったままよりはマシやろー!
少なくとも自分の気持ちはアップさせることができるからね!
で、突然話が変わりますけれども、酒を飲むと人生が好転します。その理由は「飲んでない自分」についてセルフエスティームが生まれるからだとか、さらにエネルギーとお金と時間が余るのでそれを使っていろいろできるから、といった話は何度も書いてきました。その第一歩として身なりを整えるというメソッドがあっても良いのではないかなあと思います。そしてこれは非常に安上がりなのですよ。
もちろんスーツを新調したりするとお金がかかりますけれども、とりあえず前述したように靴をシューグーで補修するといったようなことは、お金がかからないだけでなく、酒をやめて余った時間の暇つぶしとしてはちょうどいいです。当然、その靴もぴかぴかにします。
あるいはハンカチにアイロンをかけるとか、ズボンは必ずプレスしたものを履くとか、ですね。シャツにアイロンもいいのですけれども、これは難しいのでクリーニング屋のキャンペーンデー(週に一度程度ある)を狙って出す手もあるでしょう。
そして、そうした必要がないときでも、プレスしたシャツとプレスしたズボンとピカピカの靴で出かけるのです。徳大寺さんのごとく。
「ぼろは着てても心は錦」はたぶん、日本だけのガラパゴス的価値観です。また徳大寺さんの伝でいけば、「発言」や「文章」で自分を表現するのは一番手軽です。とくに「文」は「文る(かざる)」で「飾る」にも通じ、自分を韜晦するには最適な手段です(「文」に騙されず、酒飲んでない清明な頭で「理」を知る。それが本当の文理選択!?)。だから信用ならないというわけですねー。
その点「身なり」は、実は手軽でローコストなのに「信用してもらえる」。したがってコスパもいいかと。て、こういうところにも私という者の人間性が顕われますねー(汗)。
ともあれそんなふうに安上がりに身なりを整えることから始めていくと、これが他者の評価につながるか――。ということでは、私の場合、一度だけですが「いつもきちんとしてますねー」と言ってもらえました。言ってくれたのは、昔、テニスでダブルスを組んでいて、草大会で一勝もできなかった無勝ペアの片割れです。成功体験の少ない人間は成功体験の少ない人間の数少ない成功体験を察する……といったところでしょうか(苦笑)。
ただ、他者から認められなくても、少なくとも自分の気持ちだけはアップして、人生好転の第一歩になるかと。
酒をやめてしばらくの間は、エネルギーと時間は回復しますが、経済力はなかなか回復しないので、こうしたことから始めてみるのもありかなあと思ったりする次第です。