酒やめて、1850日。
酒は人間の性格を造りかえる!?
先日、断酒友と話していて、二人の共通の先輩がちょっとヤバいんじゃないかという話題が出ました。その先輩は、このブログにも度々登場させていますが、自称適正飲酒者で、俺は家では焼酎2杯しか飲まない( -`д-´)キリッと常々公言している人間です。
まあ、そのようにいじっても洒落になるから登場させていたのですが、どうもそういうふうな扱いが憚られるような雰囲気になっているそうなのです。酒量も毎日焼酎5杯(!)程度に増えて家もゴミ屋敷化しているというのですね。まさに酒が、家を片付けようという気力を根こそぎ奪っている状態です。断酒友は、やっぱりコロナアル中に片足突っ込んでるのかねーと言っておりました。
これも昨今、世間でよくあるとされていますよね。コロナで生活が引きこもりがちになり、家ですることがないから酒を飲み、アル中あるいは問題飲酒化していくケースで、メディアでも取り上げられています。それが身近に出現しているわけです。
コロナアル中の場合、背景にはやはり孤独というものがあるでしょう。コロナによって世間との関わりが希薄になり、その寂しさを紛らわすために酒を飲むというパターンです。まさに、孤独と酒と、そして老いは、手に手を取ってやってくるのです。
でもそうなのでしょうか、というのが今回のテーマであります。
人間は寂しいから、寂しさを紛らわすために酒を飲む。いや、もちろんそうなのでしょう。ただしこのブログでも常々主張(?)しているように、酒さんは意思を持っていて、自分に都合よく人間を造り変えていくのですよ。
断酒によって本来の「一人耐性」が蘇る!?
何が言いたいかというと、寂しいから酒を飲むのではなくて、酒を飲むと寂しくなるということです。ニワトリが先かタマゴが先かの問題でもあり、レトリック厨ぽくもあるのですが、ただ、なんとなく無聊を紛らわすために飲んでいたのところ、それが習慣化すると、酒さんが、寂しいやろわしが欲しいやろ、と囁いてくる、その声が聞こえるようになるのですね。それは経験者だからすごーくわかります。私などは断酒経験が浅かった頃は、夢の中に死んだわんこが出てきたくらいのことで、異常に酒飲みたくなってましたからねー。しかし当然のように、酒を飲むとそのいっときは気がまぎれたように感じても、飲酒生活は寂しい生活を助長します。
その先輩に話を戻すと、その人は離婚したのかどうか知りませんけれども一人暮らしです。そして私も同じような状況です。境遇としては似たりよったりです。
でも別に私は、今は寂しいとはあまり感じないのですよ。もともと一人耐性が強いというのはあるでしょうけれども。
いつぞやも書きましたけれども(参考「酒のおかげで自分は「陽キャ」だと思い込んでいた愚か者がここにいますよ」)、そういうふうに一人耐性が強い人間でも、酒によって一人じゃいられないと思いこまされている。人との関わりの中でこそ自分が生きるタイプだと思ってしまうんですよ、酒によって。
でも、ですね、もともと一人耐性が強くて別に他者に依存しないタイプであれば、その本来の力(?)が断酒によってよみがえって、別に寂しいからといって酒を飲む必要もなくなるというふうになると思います。
これもまた、ニワトリが先かタマゴが先か理論でしょうし、レトリックを弄している感もしなくもないのですが、改めてそんなことを確認した次第であります。だから寂しさを感じたならばとりあえず酒やめてみ、ということにもなりますよね。
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