「健康のために酒やめよう」に対する、どうしようもない違和感。

酒やめて、2450日

酒は「健康破壊」じゃなくて「人生破壊」でしょ

タイトルの「健康のために酒やめよう」ですが、その手のことを、私も飲んでいる時代はよく言われてました。そう言い募ってくる相手というのが、笑っちゃうことに酒好きな人間だったりするのですが、「俺はお前ほど無茶な飲み方はしていない俺は適正に飲んでいる」というマウント取りもあったのでしょうね。

そういう輩もいるけれども、ただ一般的によく言われることではあります。あるいは「やめよう」とまではいかなくても「減らそう」とか、ですね。

当然、医療関係者の口から発せられることもありますが、ここではひとまず措いておきます。一般的に言われるところの「健康のために酒やめよう」に対する違和感について、誰にも頼まれてませんけれども書かせていただきます。

この違和感は、覚せい剤のことを考えてみるとわかりやすいのではないかと思います。「健康のために覚せい剤やめよう」とはあまり言いません。覚せい剤をはじめとする麻薬がヤバいのは――今は大麻の健康上の効果も取りざたされていて、そこに踏み込むとさらに話がこんがらかってしまうので、この件も措いておきます――一つには反社会勢力の資金源になっていることがあるでしょうし、おおざっぱにいうと人生破壊するからですよね。

それは、自分の人生だけじゃなくて他人の人生も破壊します。そんなことは世の中の常識ですが、酒に関しても、実は同じじゃないかと。自分の人生も破壊しますし、酒によるDVなどで他者の人生も破壊します。

人気の交通系ユーチューバー綿貫渉さんの『怒鳴られ駅員のメンタル非常ボタン』という本で読んだのですけれども、まあ酔っ払いの実態というのは駅員から見たらひどいそうで、これも他者の人生破壊の一環(?)です。

「健康破壊」は酒の罪のほんの一部です

酒は毒薬とよく言われますが、まさにそうですよ。「健康のためにやめよう」なんていう、なまやさしい相手じゃないです、酒さんというところの者は。にも関わらず「健康のためにお酒をセーブしたら」みたいなヒジョーに甘い感じの言われる方が、医療関係者を含めてなされる。

そこにアル中→断酒erとしては、ヒジョーに違和感を感じてしまいますよということを先ほどから申し上げているのですが、ただ、それが私の独善理論かといえば、そうでもないのかなあ、と。案外、そうしたことって世間に常識として広がりつつあるようにも感じます。楽しく飲もうよ、と声高に言っているのは、マスメディアと酒造会社と自称適正飲酒者だけで……というと語弊があるかもしれませんが、ともあれそうした勢力(?)と、とくに若い人の意識はだんだん乖離しつつあるようにも思います。

とまあ、言いたいのは、ですね、健康が毀損されるというのは酒の罪のほんの一部にしか過ぎないのだということです。それを改めて認識しておきたいと思います。自戒を込めて。

そう規定すると、酒飲まないことに確たる根拠を持つことができ、それは大きな断酒モチベーションになったりもすると考える次第です。

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