酒やめて、1784日。
「酒に厳しい」は社会の成熟が理由!?
ちょっと前に「酔った勢いの「社会悪」って、今、どこまで許されるんでしょうかね?」といった記事を書かせていただきました。明らかに今、社会は酒で「やらかす」ことに、ひいては飲酒行為そのものに厳しくなっています。
若い人はご存じないかもしれないけれども、昔は……甘かったですよ。まあ酒の席だからね、とか、酔ってないときはいい人なんだけどねえ、みたいなことが普通に言われ、「やらかし」も酒の上なら罪一等減ずの雰囲気もないことはなかったです。
しかし今は、酒起因の害悪や迷惑許すまじの気分が社会に横溢しています(もちろん飲酒運転は、以前から論外ですが)。それは社会が成熟してきて個人の権利というものが大切に考えられ、コンプライアンス全般が厳しくなっているからですよね。ハラスメントの被害者の人権を守るという意識が高まり、それが酒起因のハラスメントに対しても及んでいます。
ただ、私個人的には、またもうちょっと違う視点もあるのかなあと思っておりますので、そのあたりの仮説(?)を披露させていただきます。誰にも頼まれてませんが。
「ジン横丁」飲みが害悪をもたらす!?
それは貧困ということが絡んでいるから、などと考えるんですよ。昔は楽しい酔っ払いが多かった……と言ってはナンですが、社会全体の豊かさの中で酒を飲み、その迷惑も豊かさの中に吸収されていた、というふうな構図もあったと思います(繰り返しますが、飲酒運転は別です)。
でも今は、楽しむ酒がもたらす酒の迷惑ではなく、非常に切実な思いで酒を飲んでる人が多く、その害が問題になっているのでは、と考えます。「ビール街」的な飲酒と「ジン横丁」的な飲酒があるのなら、あきらかに「ジン横丁」的な飲みにシフトしていますよね、今の日本というところのものは。昔の私がまさに「ジン横丁」飲みだったのでよ~くわかるのです。それが、酒による害をさらに深刻なものにしてるのかなあと感じたりもします。
ちなみに「ビール街」(飲み)と「ジン横丁」(飲み)については、こちら(「ストロングゼロが亡国の飲み物であるというこれだけの理由」)に書いてありますので、ご参照いただければ幸いです。絶望社会であった18世紀のイギリスのアイコンがジンであったならば、今の日本の状況のアイコンはストロングゼロなのでしょう。
ともあれ、要は人生上手くいってない人が圧倒的に増えているんですよ。飲酒時代の私もそうでしたし、今も私の周りにもいます。明らかに上手くいかないから酒を飲んでいる人、です。で、そうした人は酒の害をもたらしやすい、というふうに言えるのではないでしょうか。暴力や言葉の暴力とまではいかなくても、飲酒によって脳が柔軟性を失い、それが加齢とあいまって、社会不適合となり、さまざまな軋轢を生む、というパターンです。
そう考えると、もうやめるしかないでしょう、やめた人はラッキーですわ、といういつもの結論になりますが(汗)。
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