LGBT法案の一件に絡めて、「発言」と「人生」と「酒」の関係について考えてみたいと思います。

酒やめて、2204日。

荒井秘書官発言がLGBT法案成立を後押し!?

ちょっと前にLGBT法案について、断酒者として、そして過去にさんざん「お前はアル中だー」とヘイトスピーチ(?)を受けたものとして、あるいは現在も職種差別を受けるものとして、思うところを述べさせていただきました(参考「「お前はアル中だ! 脳が萎縮してる」とヘイトスピーチされ続けた男が感じるLGBT法案の「もやもや」」)。

LGBT法案は、岸田首相の秘書官だった荒井勝喜氏が差別発言し、これをレバレッジにして一気に法案成立に加速度がついた感じです。少なくとも一般人の目にはそう映ります。それにしても、毎日新聞というメディアにオフレコで語ったことが、なぜか記事にされ、それが野党の推す法案成立のアシストとなったのですから「よくできています」。

仕組まれた感もありますが、ただし普通の感覚でいえば当然ながら、そんなこと言わんやろ、こりゃアウトやろ、といったところですよね。

個人的な考えは人それぞれあって、心の中までは誰も干渉することはできないけれども、人が傷つくことは言わない。そして、自分とは異なるバックボーンを持つ他者を尊重する。基本中の基本であり、昨今ますます常識化している。いつも書いていて恐縮ですが、ジェントルでロジカルな世の中になっている。

このことについて、コンプライアンスが厳しくなって息苦しいといったこともよく言われますが、そのような主張は自分のわがままを通したいということの裏返しだと思います。規範意識が高まることは、社会が良い方向に向いていることとほぼイコールでしょう。

そのモラハラ発言、命取りになりますよ

ともあれ、荒井秘書官は許されないことを言い、結果的にそれを利用されたかたちになりました。また政策秘書だったとのことでいずれは立候補も視野に入れていたのかもしれませんが、そうした「前途」も閉ざされたものと思われます。

とまあ、そうしたことを断酒ブログで語っても詮ないのですが、そのようないっときの「発言」と自分の「行く末」との関係が、ここに来てどんどん密接になっていることは事実でしょう。他者を尊重しない、他者を傷つける「発言」――荒井発言もそうですし、以前書いたところの派遣差別、下請け差別といった現代における身分差別ベースのモラハラ発言、たとえば「派遣のくせに分を弁えろ!」の類は、発言主の社会的生命を少しずつ削っていきます(もちろん一発アウトのケースもある)。

いや、実際いるんですよ。政界に限らず、一般社会にも「俺は言いたいことは自由に言う」として、それがまるで美徳のようにトクトクと好き勝手なことを言っている輩が。そういう人間は、そのときは気持ちいいかもしれませんが、それとトレードするかたちで自分の人生を毀損しているのです。何をいまさらマターですが、ただ、それが昨今、より顕著になっているということを先ほどから申し上げているのであります。

むろん、議論というものは当然ながら活発に行われるべきです。ただ、人を傷つけることを平気で言う人はえてして意見と人格と立場をごっちゃにし、それで人を否定します。発展のための活発な議論を邪魔するのは、実は「俺は言いたいことを」の人間だという側面は確実にあります。

ともあれ人類は、ジェントルにロジカルに進化しようとしている。そうしたなかで、モラハラ発言の類はいかにもエモーショナルであり、そして人間のエモーショナルな感情を増大させるのは酒さん、飲んでないときの人格まで魔改造するのが酒さんなのでありますよ、ということを「言いたい」のでありました。と、「言いたい」ことはブログで言えばいいのですね。

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