酒やめて、1233日。
昨日、酒の入り口あるいはアル中の入り口のカジュアル化がどんどん進行し、それはとりもなおさず間口が広がっていることに他ならない、といったような話を書かせていただきました(参考「博多にて、元アル中が思う。アル中への入り口が、こんなにカジュアルになっていいもんなんか!?」)。
衝撃だったペンギンズバーの登場
で、ジジイとして振り返るに、その原点というか一番最初の事例は80年代にあったような気がします。
今、調べたのですが、1983年に、サントリーからペンギンズバーという缶ビールが出ました。
それまでビールといえば、もちろん缶ビールもありましたが、やはり瓶ビールが中心で、いわゆる「お父さんのイメージ」でした。冷蔵庫に大瓶の瓶ビールが何本か並んでいるというのが、定番の家庭の姿だったように思います。そして酒屋さんが配達してくれていました。我が家に来る酒屋さんは、今や好事家の間で高値で取引されているというサニートラック、通称サニトラ(B120型)に乗っていましたねー。かっこよかったです。
で、受験勉強時代、私はそれを盗み飲みしていたわけで、自分で缶ビールを買おうという発想はなかったです。お金もなかったですし。
それはそれとして、ですからまあペンギンズバーの登場はわりに画期的なことだったのですよ。ビールがお父さんから一気に女子大生のイメージになったという感じですね。当然、購入するのにも抵抗がなくなりました。
それと前後するように、外国ビールの台頭というのもありました。バドワイザーなどはやはりイメージが「アメリカ」でしたので(当たり前ですが)、昼間から街角で飲んでいたとしても、そんなに違和感がなかったのです。そして、そういう外国ビールを飲ませるお店もポツポツでき始め、昼から営業していたのでそこに行って一杯飲るというスタイルもありでした。自由が丘ならトップドッグとかカスタネットとかですね。
ちなみに飲酒時代、自由が丘の鰻串焼き屋で一杯飲ってたら、隣に座っていたおばば様が話しかけてきて、今あげた昔の自由が丘のお店の話を始めた(地主さんでそうしたお店に物件を貸していたようだった)ので、「ボクも塾高時代はよく行きましたよ」と大嘘ぶっこいたら、「あんた、慶応ね!」と不思議そうに見つめてきたりもしました。おばば様からすれば、慶応出身者がうらぶれて昼間から飲んだくれているのが意外だったのでしょうし、私からすれば、飲酒時代はなぜかその手の嘘がさらりと出てきたのです。
“ラスボス”としてのストロングゼロ
それはともかく、ペンギンズバーやバドワイザーはじめ外国ビールは、ファッションとして外観がカジュアルだったけど別に安くはなかったです。なので、購入のハードルの一つのポイントはクリアしていましたが、若者にとってのもう一つの、そして重要なポイントである「安さ」に対する回答にはなっていませんでした。
一つの転換期になったのは、やはり90年代に発泡酒が誕生し、各種の規制緩和とあわせて酒が一気に安くなったときでしょうね。ここで大量飲酒の間口がものすごーく広がり、カジュアル化も同時に進行しました。私の場合、ここからアル中へと加速がつきました。威張ることじゃありませんが。
そしてその究極としてストロングゼロという存在があるわけですよ。ラスボス感半端ねぇっす。
昔は、アル中おっさんはワンカップを街角で飲んでいたから目立った。でもストロングゼロの缶であれば、カジュアルだし違和感がないなどと言われる所以です。
ただし今やストロングゼロは、「やばい」のアイコンになっていますので、かえって悪目立ちしてしまうかもしれませんね。
まあしかし、なんだかんだで日本社会というのはすごいと思いますよ。つまり社会全体が貧困化し購入力が落ちると、その社会状況に合った商品なりサービスなりをつくってしまうんですね。
普通だったら、社会が貧困化すると、おそらくその社会全体が画一化し味気ないものになると思います。ジン横丁に描かれた18世紀のイギリスのように(参考「「ジン横丁」に描かれた18世紀のイギリスに、今の日本があまりにも似てきていてヤバいんじゃないかという件」)。ただ21世紀の日本は貧困化していますが、少ないお金で楽しめるアミューズの花を咲かせてるような気もします。その一環、あるいは頂点にストロングゼロがあると。
でもそれは、社会全体の中で酒によるアミューズのプレゼンスがどんどん大きくなっている証拠でもあり、そして間口が広くなっている分、危険性も増えているということですよね。やっぱり貧困とアル中は手に手を取ってやって来るものなのかもしれません(参考「老いと貧困と酒は、手に手を取ってやってくる」)。