物事に真面目に対処しようとすればするほど、酒にとらえられてしまう罠。

酒やめて、1036日。

披露宴の司会

以前、アル中にとっての三大聖書について書かせていただきました。その三作に共通しているのは、主人公が真面目であるがゆえに酒に逃げ、酒に救われ、酒に溺れ、酒にしてやられるというパターンです。

酒を飲むと、創作の神が降りてくる!?

とくに『今夜、すべてのバーで』の冒頭シーンで、ライターである主人公が酒を飲むと、原稿が魔法のようにすらすらと書けるというシーンは、衝撃ですらありました。つまり酒が、社会生活における実効性のある成功体験をもたらしてくれたのです。

いわゆる「降りてくる」という状態ですね。なにが、といえば「創作の神」です。実はクリエイターに限らず、アル中には、こういう体験を持っている人が多いのです。

私にしても、もう何十年も前の話ですが、生まれて初めて結婚式の司会を仰せつかり、それがゼミの指導教授のお嬢様の結婚式だったため(場所もオークラだった汗)、あまりの緊張で吐きそうだったところ、酒をくいっとやったらそれがおさまり、すらすらとできた、それゆえに以降、よりいっそう酒に頼るようになったという経緯はあります。

なーんだ、酒なんかなくてもよかったんだ!

余談ながら、私が高校生のとき、同級生に酒屋の息子がいまして、その酒屋は店先でお酒を出すスタイルでした。店を取り仕切るお母様が太っ腹な方だったので、我々小汚い男子高校生一同は、そこによくたむろしていたのです(もちろん酒飲んでいたわけではありません)。

その酒屋の前には、とある公共施設がありました。そしてそこの職員(公務員)が昼から酒を飲みに来るわけですよ。くいっとコップ酒をあおってまた職場に戻っていく。高校生心にかっこいい! と感銘しつつも、一杯やんなきゃやってられない仕事なんだろうなー、社会人の仕事って大変なんやなー、となんとなく思っておりました。

「酒でも飲まなきゃやってられねー」という事態に、真面目に誠実に対処しようとすればするほど酒を飲みたく感覚は、確かにあります。

でも一つだけ言えば、三大聖書にも描かれているように、その効果、すなわち酒と脳の蜜月は、ほんのちょっとのタームなんです。後は「酒を飲んだら何もできなくなる」に突入します。そして恐ろしいことに、蜜月タームが長ければ長いほど、脳と肝臓はやられてしまいます。

さて、私の経験からすれば、酒をやめたらやめたで、では大勢の前で話すときに緊張するようになったかといえば、それはまったくありません。なんだ、最初から酒なんか要らなかったんじゃないか、酒が手助けしてくれたというのは、錯覚ではないにしろ、やはり思い込みの部分が大きかったのでは、と今は考えています。酒というwith a little helpを知っていたがゆえに、それがないときに「緊張」に追い込まれていた、ということなのかもしれません。酒の立場からすれば、人間を見事にマッチポンプ状態に追いやったわけですね(笑)。

そして今は、酒よりも酒を克服した(と言い切っていいかどうかはまだわかりませんが)自分自身の存在の方が、「酒でも飲まなきゃやってられねー」事態に立ち向かうための勇気になってくれているような気がしています。

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