「酒をやめたらいいことある」は、スピリチュアルか現実か。

酒やめて、1168日。

私がお酒をやめたのは直接の原因はアルコール性低血糖で倒れたからですが、もちろん当時、あーこのまま飲み続けたら人生破滅するだろうなという予感はありました。ただ同時に、そうは言ってもやめられないだろうなとも漠然と思っていました。

酒やめたんだから、なにかいいことなきゃ嫌だ!

どこかで何か決定的なことが起きるのを待つ気持ちもありました。で、低血糖で倒れたのですが、死にかけた(参考「高血糖はじわじわと身体を蝕むが、低血糖は死をごく身近に感じさせてくれるよという話」)とはいえ、他者を傷つけたり社会的な命が終わるということではなかったので、「決定的」だったかといえば、そういうわけでもありません(十分決定的でしょ、と普通は思うかもしれませんが、世の「アル中→断酒」先輩は、もっと壮絶なエピソードを持ってますし)。

ともあれそれをきっかけに酒をやめたのですが、自分の中ではいつ再開しようかという気持ちでいっぱいでした。が、飲み友が一足先に酒をやめており、じゃあ二人でどこまで続けられるかやってみようというのが大きなポイントになっている点は、このブログでも度々記してきた通りです(参考「酒やめてまるまる3年。自分なりに「断酒のコツ」をまとめてみた!」)。

で、私は酒をやめたばかりの頃、飲み友→断酒友によく訊いていました。あのさあ、酒をやめたけど何かご褒美もらえるのかね?

つまり、この大酒飲みの私が酒をやめたという大事業を成し遂げたのだから、世の中なり神様なりから、なんかいいことしてもらわないと引き合わないという、非常にあさましい気持ちになっていたのです。

うっかり「あさましい」と記してしまいましたが、この心理は、わりに断酒者が断酒したばかりの頃に抱く、共通したものではないでしょうか。そうじゃなかったらすみません。

なぜこんなことを言うかというと、コロナ自粛&仕事ペンディングで暇なんで、いろんな断酒ブログおよびアル中系ブログをあらためて渉猟(?)しているのですが、その中に、酒をやめたからといっていいことなんか何もない(だから飲み続ける)というニュアンスの記述を発見したからです。

これねー、本当に私にもよくわかるんですよ。私もまったくそういう気持ちでした。ですから、決定的なこと(私にとって、ですが)がなければ、やめてなかったと思います。そして社会的に死んでいたと思われます。

唐突に襲ってくる多幸感、そしてかみ締める自由!

それでは、酒をやめるといいことがあるのかないのか。

その前に言っておかなければならないのは、酒をやめると人生は確実に好転していく、ということです。当然、周囲の目が変わってきて信頼感アップにつながり、また現実問題、仕事なども能率よくクオリティ高くこなせるようになるからです。

ただこれは、やはり長い目で見て、ですし、個人差や社会的に置かれた状況の違いもあるでしょう。以下記すのは、もっと「直裁」なことです。

断酒ブログの多くに、酒をやめると普段の景色が違って見える、輝いて見える的なことが書かれてます。実は酒をやめたばかりの頃は、んなことあるかよ気のせいだよ、と、なかば馬鹿にしていました(すみません!)。少なくともそれは科学ではなく、スピリチュアルなものとして捉えていたのです。

ところが、ですね。これは、あります! もちろん個人差もあるんでしょうけど、確実にあります。断酒友もそう言っています。

酒をやめて2ヶ月ぐらい経った頃でしょうか。突如として圧倒的な多幸感が襲ってきたのです。この感覚はなんだ、もしかしてこれが酒をやめたご褒美かとまず思いました。断酒友もそういうものを感じると以前言っていたことを思い出しました。

このような多幸感をいつも感じれれば良いのですが、やはりそういうわけにはいきません。1ヵ月に1回程度でしょうか。でも景色が違って見える感覚は確かにあるのです。理由はわかりませんが、多くの断酒者が感じるということは、「脳の変容」に関連した科学的な根拠があるのでしょう。これを目標に断酒してみるというのは、ひとつあると思います。

現実的なご褒美として得られるのは、やはりお金です。いくら今、酒が安く飲めるといっても、家計はかなり楽になりますね。これも実感としてあります。もっとも断酒友のように、高級スイーツや高級フルーツに走ってしまっては意味ないですけど(笑)。

ともあれ断酒貯金のようなことを戦略的にやっていけば、相当にお金は貯まると思います。

ただ私はお金に関しては、もっと大きなことがあると考えます。自分がミニマムな経済で生きていけるということを自覚できるということです。ですから、今回のようなコロナ危機、そしてもしかしたら世界大恐慌が起きるかも、という時でも、わりに安心していられるのです。もちろん心配は多々あります。ただ飲酒時代なら、精神的に大恐慌に陥っていたでしょうから、それに比べるとかなり落ち着いていられます。

そしてこれが、セルフエスティームと相まって、怖いものなし感をかもしてくれるのです(参考「セルフエスティームをアップさせるための、一番簡単な方法」)。大げさに言えば、ですけど。

また酒飲んでいた時代は、要するに酒代だけは確保していないと自分の足元に大きな穴が開いたような気分になるので、お金があったとしてもそれは自分の自由に使えるお金ではなかったのです。経済的な自由な感じがまったくないわけです。酒代に使う予定のお金が、いわば住宅ローンのような固定費になってるのですね。ですから子どもに体験させることができないし、自分が体験することができない(参考「親の過飲酒は、子どもの経験チャンスを奪う」)。まあクズ親に成り下がります。

ところが今や、お金があればそれは自分が自由に使っていいお金です。お金に酒という色がついてません。この圧倒的な自由さみたいなことが、多幸感につながるのかなあと思ったりもするのです。

酒をやめると、社会的に人生好転していくということは当然ありますが、しかしもっと直裁に、一見スピリチュアルぽいいいことが起きる。その一例としてあげさせていただきました。まさに神様からご褒美がもらえるのです。

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